タイトル | 湯船 |
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投稿者 | aki@kt |
投稿日 | 2020年02月16日 |
『湯船』 皆さんこんにちは! aki@kt です。 あの『5歳児に』叱られる番組での問題です。 【なんで 浴槽 のことを 湯船 っていうの?】 あれ? なんででしょう。 5歳児の正解はこちら。 ────────────────── 『浴槽』のことを『湯船』というのは 湯船という船があったから~ ────────────────── 江戸時代には内部に浴槽を備え付けた船を 岸や川筋に漕ぎ寄せて客に入浴させたのですが その『湯を積んだ船』を湯船と呼んだそうです。 川の水を汲んで薪で焚いて沸かしていたそうで 岸に着くとホラ貝を吹いて到着を知らせて 営業していたそうです。 江戸時代は混浴も別浴も両方あったのですが 屋形船は構造上分けられないので混浴だった 可能性が高いそうです。 [湯船が生まれるまでの背景] 江戸時代初期は水道の整備が不十分で 内風呂は上級武士のみが持っていたのですが 当時の庶民の為に生まれたのが銭湯です。 最初は『戸棚風呂』と呼ばれる蒸し風呂のみで たくさんの人が同時に入れませんでした。 後に浴槽のある銭湯ができたものの 銭湯は都心部に集中し郊外の人は銭湯に行けず そんな人達の為に生まれたのが湯船でした。 江戸の街は海産物や木材を積んだ船が往来し 運河や水路が巡らされていた事もあり 湯船は至る所で商売をしていたそうです。 江戸時代最盛期で銭湯が約570軒なのに対し 湯船は約100軒あったと推測されています。 この湯船は郊外の人達に大人気でした。 銭湯が8文(約160円)だったのに対して 湯船が4文(約80円)と安かったそうです。 川の水を使えた事と簡易な設備である為 維持費が掛からないのが安さの理由です。 郊外の人には『浴槽に浸かる事』=湯船なので 浴槽と湯船が同じ意味として江戸から全国に 広まったそうです。 ────────── ここまではテレビ番組の受け売りです。 ネット上では『ゆぶね』という言葉自体は 平安時代に既にあったので江戸時代の湯船を 由来とするのはおかしいと反論が上がりました。 浴槽の様なものに『ゆぶね』という言葉を 当てているものの平安時代の『ゆぶね』が 現在の様に湯に浸かるのかは分からないので 解釈が分かれる所でしょうか。 ともかく江戸時代にそんな船があったのが 驚きました。 江戸時代の湯船に思いを馳せながら 湯船にゆったり浸かるのもいいですね。 こういう話を聴くと江戸時代の銭湯や湯船は 混浴が多かったという事で現代の男性は とても羨ましく感じますね。 そんな憧れもあって風活者の一部は 姫との混浴を楽しんでいます。 (湯船を使わない業種も多いですけどね) 混浴に興じる風活者は江戸時代の人よりも 存分に楽しんでいますね。 姫と湯船で抱き締め合ったりキスしたり ラッコ抱っこしたり息子を咥えてもらったり 江戸時代の湯船ではできない事をやりまくり 優越感を持つ人もいるのかも知れませんね。 ────────── 湯船に関係するコラムですと 私の調べた範囲では以下の様なコラムも ありますので良ければご覧下さい。 ★『瘋癲狸』さんのコラム 『ソープランドでの湯を溜め始める タイミングについての考察』 (2016/7/15掲載) ★『hireidenton』さんのコラム 『ソープランドの風呂のお湯』 (2019/2/20掲載) ────────── 江戸時代の湯船で ホラ貝を吹いたというのがいいですね。 村西『気持ち良かったら── このホラ貝を吹いて下さい』 『更に気持ち良かったら2回吹いて下さい』 そんな感じでしょうか。 駄文にお付き合い頂き ありがとうございました。 | |
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