タイトル | ゴンゴン夏の大棒険! 関西新地探訪⑤ ~おまけ 編~ |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2023年08月31日 |
『ゴンゴン夏の大棒険! 関西新地探訪⑤ ~おまけ 編~』 どーも、タンスにゴンゴンと申します。 この夏、 『ゴンゴン夏の大棒険! 関西新地探訪』 と題しまして大阪にある5ヶ所のちょんの間街“五大新地”を探索して参りました。 今回はその折に和歌山県の『天王新地』と、22年に壊滅となった兵庫県の旧『かんなみ新地』にも立ち寄った様子をお届けします! 今回の探索やコラムの概要やちょんの間については『関西新地探訪① ~信太山新地 編~』に記しておりますので、ご興味があればそちらもご覧ください! ~和歌山・天王新地~ 【飛田に次ぐ規模と姫レベルの新地】 ■天王新地 店舗業態:料理店 嬢所属:料理店 主な料金※: 30分=10,000円 ※ゴンゴン調べ 料理店にお邪魔し、そこにいたホステスさんと意気投合。 お部屋に入って料理を注文すると最後はホステスさんの活け造り…といった運びということですね。 【一本桜が花をつける黄昏の新地】 松島新地へ徒歩アクセスはJR阪和線・紀伊中ノ島駅、あるいはJR紀勢線・紀和駅となりますが、大阪(天王寺)↔和歌山間の『紀州路快速』が停車する前者がおすすめです。 高架無人駅である紀伊中ノ島駅に下車し地上に降りると、大きな斜め格子の吹き抜け窓のなんともレトロな駅舍で、その中へ🚲自転車がガンガン出入りする珍妙な光景が…地上にあった構内の旧線とホーム跡が駐輪場になっているためそんな珍百景が見られます。 国道の沿いに新地があるというので、駅前の道をその国道出て西方向へ歩き、郵便局のフェンスに地域図看板があったので見てみると、目指す辺りに 🚏天王新地 おお、バス停があるのかぁ~アクセス良し (どっから乗るかはわからないが) 🌸 ⬆️N ⇐═╤═╤═⇒ ︼ ︼ │ │ ┃ │ ┄┺━┴ ※─=40m前後 ═=ちょんの間エリア ━=国道 ┄=抜け道? ︼=アーチ看板 🌸=一本桜 ⇒=紀伊中ノ島駅方面 ⇐=紀和駅方面 現在の天王新地と思しきエリアは国道からコの字状の路地となっており、それぞれの口には [天王料理組合] というアーチ看板が掲げられているとの事ですが… [天 ](東側) [ 理組合](西側) …2つ合わせても答えになれない程にボロボロに…私の事前調査からさらに香ばしさが増してますなぁ~ 国道が土手状なのでこのアーチから新地エリアに向かって下っているのですが、東側には料亭らしい看板は見えず、西側アーチの奥目にそれを発見したのでそちらからアプローチ。 歯抜けのような空き地は駐車場と化し、和風な設えの廃屋はそこがかつてのちょんの間妓楼と推察できます。 さらにすすんで路地の奥目に軒を連ね看板を掲げた2軒は営業前なのか?閉まっていたが現役っぽく、向かいには軒先に屋号は見えるものの個人名の表札が出ており看板も降ろされていたので近しい間に廃業→そのまま住宅としたのでしょう。 そして底辺部分を折れると、現役情報がある年期が入った少し立派な和風建築が。 その外観を愛でていると…1階の大きな窓の中から中年女性が2人、当方を見ている事に気づき…住人か?はたまた店員や嬢様か? …とにかく気まづくなったので東側の路地を散策。 こちら側は再開発(?)が進んでいるようで、空き地→駐車場化が進み、旧ちょんの間とおぼしき廃屋も1件ほどとちょんの間街の跡形ほとんど無し…といった状態でした。 かつてはそれなりの規模だったというのでもう少し痕跡は…と西側へ人がひとり通るのがやっとの抜け道のような脇道があったので進んだ先には長屋っぽいものが数件並んでいて、これらもかつてはちょんの間だったのでしょう。 ひとしきり探索を終え国道に出ると街区図にあったバス停はどうやら廃されたようで、その辺りに寒緋桜という立派な桜が一本、佇んでいました。 【お忍びの遊里から赤線として賑わう】 徳川吉宗を輩出した御三家の一角、紀州徳川家があった和歌山は廃娼運動が盛んな県で、遊郭は和歌山市から遠い新宮など2箇所に留まていたようです。 和歌山市内の天王新地は明治時代に私娼窟、今で言うたちんぼエリアのひとつとして記録があるようですが、それより前、江戸時代に町人たちのお忍び場として用いられていたそうです。 昭和に私娼の集約を目的として赤線地帯になると戦後には店舗60軒超の県下最大の色街となり、多くの暴れん棒将軍たちが“性敗”!とばかりに落し種を排出したのです。 その後和歌山市中心部にソープランド街ができると衰退。 ソープの代替として盛況な大阪の新地を除いてこうして細々と営業を続ける残存ちょんの間の殆どは新規よりもご近所常連客の夜伽需要に応え、残るお店は常連客に併せて嬢様も高齢化が進み現在年齢が引き上げられ現在至り、そして遠からず需要が無くなれば、その使命を終えるのでしょう。 ~尼崎・かんなみ新地~ 【リーズナブルで人気だった新地】 かんなみ新地は大阪の飛田や松島に並ぶ近畿で人気のちょんの間街でしたが、2022年に行政の通告により壊滅となりました。 それから約一年が経過した現在も行政からの立ち退きを拒み、健全な飲食店として営業を続けるお店があってその痕跡を色濃く残しているというのでこちらも探索に赴きました。 ■かんなみ新地 店舗業態:飲食店 嬢所属:飲食店 主な料金※: 20分=10,000円 40分=20,000円 ※壊滅前、ゴンゴン調べ 飲み屋街の店先で可愛いホステスさんを見つけ、一緒に飲み食いしているうちホステスさんに気に入られて淫食OK…という体です。 最寄り駅は🐯阪神・出屋敷駅ですが今回はこちらも近い🐯阪神・尼崎駅からアプローチしました。 (JR尼崎駅からは離れています。) ⬆️N ┼──┼══╬⑴═╪ │ │ ║ │ ┼─━╃─═╬⑵═┼⇨ ⇩ ※─=50m前後 ━=ちょんの間エリア ═=アーケード商店街 ⑴=尼崎中央商店街 ⑵=三和栄筋 ⇩=阪神出屋敷駅方面 ⇨=阪神尼崎駅方面 🐯尼崎駅の北口を出てGoogleマップを見ると、かんなみ新地に“直通”する西方向に伸びる普通の路地、そして一本先には尼崎中央商店街という活気があるアーケード商店街が伸びています。 前者の路地を歩いて行くと、赤く大きな鳥居⛩️とそれに見合わない小さめなお社の尼崎えびす神社があり、その脇を進んで行くと今度は香ばしい『三和栄筋』アーケードの入り口にはいってそれを抜けると… 《旧かんなみ新地略図》 ■■■■■■■■■┃□⬆️ ■■■■■■┌──┨□N ■┌────┼─▣┃□ ■│▥▥▥▥│▥▣┃□ ━┷━━━━┷━━╋━ ■■■■■■■■■┃□ ▥=旧ちょんの間店舗 ▣=しっかりした建物 ■=駐車場 □=住宅、商店 ─=激狭路地 交差点からわずか50m程の距離に、2〜3階層の均一に狭小なバラック小屋風店舗跡が文字通り軒を連ね、周囲が広い駐車場になって開けているのでその存在が一層際だっています。 週末は商店街で買い物する客で、夜は女性を買い物する客でいっぱいになるのでこんなに駐車場が必要だったのでしょうか? ┌─┬─┬─┬─┬ ┬──┤□│□│□│□│ │□□│□│□│□│□│ │▥▥│▥│▥│▥│▥│  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 正面から見ると、まるでドリフのご近所さんコントのよう。 これまで見てきたちょんの間街、遊廓・赤線跡は旅館や料亭然の和風建築や、なんちゃってアールデコのカフエー建築等で趣もありましたが…。 こんな狭小な間口にエアコンの室外機が1軒に3~4個、雑多に取り付けられて…そんだけ事を成す小部屋があるって事でしょう。 閉ざされた入口に近づいてみると、市の所有物件を示す貼り紙がされ、かつての屋号が手書きで書かれた軒先灯が生々しく残っていました。 交差点角に建つ少ししっかりした建物の1階部分を潜ると裏手の隙間のような路地に入れるようなので、店の裏口でもあるのかな?と思ったら…こっちもお店かい! 人ひとり通れる程度の激狭路地…すげえなぁ… で、先述した通り数件が健全な飲食店へ転業(…でいいのか?)しており、1軒が開店の準備を始めていました。 ちら見えした店内には数人が立ち飲みできそうなスタンドバーの様なカウンターが見えましたが、往時はこのカウンターの中や入り口側から着飾った若きホステスが愛嬌を振り撒き、軒下では椅子に腰掛けたママが客に声を掛けていたそうです。 で、目に止まったホステスがいればお店に入り、2階に上がってわずか2畳程のお座敷ヤリ部屋でただおっぱじめる…そんな淫靡な光景がつい最近まであったと思うと…なぜ早く来れなかったかと悔しさが込み上げます。 【“パーク”と呼ばれたバラック青線】 かんなみ新地の起こりは戦後に私娼達が働く青線(特殊飲食店)街で、当地に映画館を建設するにあたり建設業者が土地を確保するためその傍らにしれっとバラックを建て、そこを貸店舗にしたところこぞってちょんの間に。 この映画館が『パーク座』という名前だった事から当時は『パーク』『パーク(飲食)街』などと呼ばれ、その後、映画館が廃館すると当地の街区名である神田南町をもじり『かんなみ新地』の呼び名が定着したそうです。 その後、各地の青線が姿を消して行く中、商店・住宅街にあって近隣住民たちの反感も絶えず、幾度かの見せしめ検挙などがありながらもかんなみ新地は在り続けました。 近隣のみならず素人系の若い娘が飛田や松島新地に比べてリーズナブルに遊べることから大阪や、近年は当地の様子を伝えたブログやSNS、動画配信で全国からもお客が集まっていましたが、ママさん市長が就任し、世間がコロナ禍のピークを迎えた21年に警告が発せられ、翌22年に営業停止が通告され一斉廃業となりました。 かんなみ新地に処断が下された理由については、コロナ禍だった事から休業要請中に営業を再開したためなどが挙げられていますが、営業自粛する中で家賃支払いもままならなくなった多くのオーナーが勧告に応じやすいタイミングだったというのもあったようで、いずれにせよ飲食店という体裁がコロナ禍の煽りをくってしまった形にもなってしまいました。 いかがだったでしょうか 今回は大阪の5大新地巡りのメインテーマから、隣県の新地・新地跡にも足を伸ばしてきた様子をお届けして参りました。 減りゆく需要に応え続け、その需要と共にやがては終焉を迎える事になる斜陽の新地。 片や多くの需要を残しながらも未曾有のパンデミックと行政の手により姿を消した、共に日陰の存在でありながら対称的な末路歩む2つの新地を訪問し、表立てない日陰の色街の儚さを感じました。 そして大阪5大新地も、これまで多くの色街が姿を消すきっかけとなった国際イベントの一つである大阪万博を控え、その存続が如何様になるでしょうか…。 ー 了 ー | |
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