タイトル | 『豊橋歓楽街レポ ~出没!イロ街ック天国!⑨-1~』 |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2023年07月24日 |
『『豊橋歓楽街レポ ~出没!イロ街ック天国!⑨-1~』』 🌆出没!イロ街ック天国!👣 ~ 肉体密着系風俗街エンターテイメント ~ 今回は愛知県豊橋市にGスポットを当てます。 遊郭・赤線跡マニアには有名な町であり、私もマイブームとするきっかけとなった場所でもあるため、今回は前後編となりますのでご興味のある方は是非、お付き合いのほど 【🗾愛知県・豊橋市】 三河湾を形成する渥美半島の付け根(東三河)に位置し愛知県東部の県境となるの県内人口6位の市です。 古くは東海道の吉田宿の宿場町として栄え、市内には🚉路面電車(豊橋鉄道・市内線)が走り、豊橋駅は🚅東海道新幹線はこだまと一部のひかりが停車する他、JR飯田線、名古屋鉄道本線。 隣接する新豊橋駅は南隣の田原市とを結ぶ豊橋鉄道・渥美線の起点として。 さらに全国屈指の自動車取扱量全国が多い豊橋港を備えるなど、交通・物流の要衝でもあります。 スポーツはバスケットボールが盛んで、Bリーグ『三遠ネオフェニックス』本拠地であり、東京五輪銀メダル女子バスケチームの高田真希CPは当地出身。 出身と言えば🐴暴れん坊サンバ将軍の松平健や私が大好き松井玲奈ちゃんがいて、🥊朝倉未来や全国一のレディースチームがあったなど港町ならではのヤンチャな街でもあります。 主な観光は… 🏯吉田城(豊橋公園) 🐘のんほいパーク グルメ・特産は… 🍜豊橋うどん 🍥ヤマサちくわ ⚡ブラックサンダー 主な発祥は… 🎇手筒花火 👍ええじゃないか ♻️053(ゼロゴミ)運動 【ℹ️豊橋市へのアクセス】 ■陸路 🛤️鉄道 東京→豊橋 🚅のぞみ 約10時間 🚌高速(夜行)バス 東京・横浜→ 🌞🌛約6時間 大阪・神戸→ 🌙約7時間 【🔞“裏風”で有名な港湾都市】 新幹線、在来線、名鉄が乗り入れる豊橋駅は構内にシティホテルや商業ビルが併設の立派な駅ビルで、その東口には古くも立派なペストリアンデッキがあって、冬期には大がかりなイルミネーションが設置されて📷フォトスポットとなり、目の前の24Hサウナ周辺はなかなかの香ばしさが漂います。 駅からはデッキ、及び地下より🚈おチンチン電車の軌道が延びる『駅前大通り』と平行する『広小路通り』と2本の通りに出ることができ、駅前大通りは再開発が進んでいます。 後者の広小路通りは懐かしさを感じる商店街通りで、そこから枝のようにプチアーケード商店街の『ときわ通り』。 『松葉小路』『松葉通り』は東三河を代表するナイトスポットで歓楽街で、夜にはキャッチがたむろし、アジアン、NH、熟女と多彩なジャンルのクラブ・バーが軒を連ねています。 そんな広小路通りの一角には『○&○広小路ビル』という、2~7階まで日・中・韓のメンズエステ店が入る怪しいビルがありますが、これは裏風ファンには有名な全店🈶サービスがあるとかないとかのアングラビル。 名古屋といい、“広小路ビル”って… 【📖あの成人誌の語源が…】 皆さんがかつてお世話になったかもしれない成人誌『デラべっぴん』にもある、“べっぴん”という言葉。 豊橋は江戸時代からうなぎも有名で、当地にあったうなぎ屋が蒲焼きの喧伝のために『頗別品』と掲げたことに由来し、“別品=特別によい品”が転じて出色の美人を表すようになったそうで、このうなぎ屋の後身店は市内に現存しています。 なお、“デラ”の方は名古屋弁の“でら(どえりゃぁ)”ではなく、“Deluxe”だそうです。 【💑住宅街に残る東田遊郭(東田園)】 趣ある石畳が敷かれた軌道を走るおちんちん電車に揺られ、旧東田遊郭跡に最寄の🚉『競輪場前』電停を降ります。 その名が示す通りこの電停から北方向にはローカルレトロな豊橋競輪場があり、反対方向に歩くと空き地のフェンスに掲げられた街区地図で、すぐにその違和感のある一角に気づきます。 ↑競輪場方向 ┼─────┼ │╲ │ │ ╠═╦─┼ │ ║★║ ├ │ ║║║ │ │ ╚╬╝ ├ ┼──╨──┼ ═=遊郭跡ゾーン ★=公園 周囲の道路から隠すかのように“回”字に作られた区画に、吉原遊廓にも見る“仲の町”の文字。 その中には多くは白消しされていますが10軒ほどのビジネス旅館名や跡が…中心部から離れ商売っ気も薄いこんな住宅街にビジネス旅館が密集するのは、妓楼が転業した遊郭跡の典型的なケースです。 実際周囲の道路からはその中の様子は伺えず、まずは北西の斜め道を入って内側へ…小さな公園を起点に西側の道を歩くと、左手には先ほどの街区図にも名があった近年まで営業していた和風のビジネス旅館や、看板や木製の手すりに旧屋号が残る旅館跡が軒を連ねており、右手にも住居となった妓楼建築が点在と、ここだけでも遊郭の雰囲気がしっかり残っています! そして南側と中小路は立て替えが進んでおりスナックやカフェなどがありましたが、“入口”には検番のような平屋の小さな小料理屋が残っています。 そして東側も立て替えや空き地化が進んでいますが、こちらにも当地を代表する妓楼跡が残っており、一見すると古くも立派な住宅の様ですが、立派な瓦の破風に2階の窓の木製の手摺には屋号が透かし彫られている(しかも状態良く残っている)のが見事。 【🪖軍都需要で興亡した遊郭街】 東田園の前身は、豊橋が吉田宿として栄えその宿場街の一つが遊女街→遊郭化したのがここ東田園のすぐ西隣に広がっていた『吾妻遊郭』で、江戸時代から花火製造が盛んだったことからことから近世にかけて当地に兵器工場や陸軍基地が置かれ、軍需拡大にともない吾妻遊郭は兵士宿舎として徴用され、戦中には空襲の標的となり焦土となったようです。 その後の復興で私娼対策として再興されたのが現在の仲の町…『東田園』であり、風営法が施行後にビジネス旅館や住居、料理店などに転用された後も各楼主さん一家が大切に用いていたことで立派な遊郭遺構としてその姿を残しているのです。 …さて次回の後編は豊橋の現在の風俗エリア、そしてもう一つの“裏風”かつ遊郭跡をご紹介していきますので、引き続きご興味があれば是非🙇 | |
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