タイトル | 性感染症闘病記vol.1 |
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投稿者 | 大納言 |
投稿日 | 2018年08月22日 |
『性感染症闘病記vol.1』 60余年の人生で、入院生活をしたのは2回だけです。 お恥ずかしい話ですが、いずれも表題の通りです。 ユーザーの皆様は十分注意されているでしょうからいらぬお節介でしょうが、自戒の意味で綴ってみたいと思います。 1回目 【ヘルペス感染による副睾丸炎】 30年程前のことです。ある日、会社の後輩の送別会の二次会、7~8人がはいれる店をさがして、歌舞伎町の今はなきコマ劇の裏の雑居ビルのとあるクラブを覗きました。 ママが出てきて、人数はOKということで、値段交渉。一人5000円で飲み放題と決めて前金を支払ってぞろぞろ入っていきました。 薄暗い店内、20席くらいのラウンジ風、22時ころだというのに先客はいません。《危ないかな》とは思いましたが、こちらも大人数なのと若かった(小生が一番歳かさでした)のとで《何とかなるさ》という感じでした。 実際、お店に払ったのはこれだけでした。 ところがこのお店、ママを筆頭に嬢すべてが鯛出身で、言葉はカタコトの日本語と英語、勢いボディランゲッジにならざるを得ず、それもかなり積極的な身体の使い方です。 乱痴気騒ぎしているとママがよってきて、 『どの子にします?』 そうです。所謂連れ出しクラブでした。 ショートで20k。最低一人は連れ出してほしいとのこと。 一同もう余分なお金はありません。でも、このままでは返してくれそうにありませんし、揉めてヤバい筋の人が出てきても困ります。 そこでみんながなけなしをカンパして集まったのが15k。ママに泣きついて、最年長の小生が、はじめからずっとそばにいた小柄な色黒の子とホテルへ向かいました。他の連中は帰ればいいのに、ママが『飲んでていいよ』というのに甘えて、小生が帰還するのを待ってました。 酔っぱらってはいましたが、さすがに抜き身ではしなかったんですが、舐めたりしゃぶられたりはありました。 一週間ほどあと、左玉に違和感を覚え、みるみるうちに三倍くらいの大きさに腫れてかなりの痛みを感じるようになりました。 男なら誰もが経験してると思いますが、蹴りあげられたときの痛みがずっと続くと想像していただくと、どれ程のものかわかると思います。 歩いたり立ち上がったりすることもままならなくなり(なにしろ立ってると玉自身の重みで引っ張られて痛いんです)、這うように近所の泌尿器科へ行って痛み止めの注射と抗生剤の点滴、即入院するように言われました。 医者の見立ては【ヘルペス感染による副睾丸炎】。要は、バイキンが副睾丸(玉でできた精子を貯めておくところ)に入って炎症を起こしたということです。 『ダイナさん、最近悪い遊びしました?』 「はい」 『具体的には?』 妙齢のナース(この方はあとで再登場します)のいる前で事細かに顛末を聞かれました。 「あの~ぅ、家内にはどうか・・・」 『何か炎症系の持病はありますか?』 「・・・あっ!ありますっ!風邪ひくとすぐに扁桃腺が腫れますっ!」 『じゃあ、それが今回たまたま玉に来たということにしておきましょう』 女房殿にはこれで押し通しました。 入院は一週間に及びました。1日2回の抗生剤の点滴の他はこれといった治療もなく、痛みに耐えながら安静に寝ているだけでした。 毎朝上記のナースが様子を見に来てくれるんですが、この方、歳はアラフォー、ちょっとふっくらした肌艶のいい色年増。 検温や排尿便の様子を聞いたあと、パンツの中に手を入れて、腫れた玉を直にさわって 『まだ腫れてますねー、熱もあるみたいです』 最初の三日は痛いだけでしたが、腫れと痛みが治まった四日目からは快感を感じてきました。五日目触られたときには、禁欲生活も長くなってきたせいでカチカチになりました。 『あらっ!元気ねぇ、ウフフ』 残念ながら翌日から触ってくれなくなり、そのまま退院しました。 家に帰った夜、女房殿といたしたんですが、コンドームに溜まったものを見てビックリ! 真っ赤な膿が排出されていました。 vol.2につづく | |
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