タイトル | 夜の吉原を歩いてみた件・古地図で調べた件 |
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投稿者 | 少佐 |
投稿日 | 2017年11月25日 |
『夜の吉原を歩いてみた件・古地図で調べた件』 近頃は一段と寒くなってまいりましたm(_ _)m ここんところは出会いカフェ出没もめっきり減り、その代わりに浅草の街にハマってます(^-^) 仕事が終われば浅草、休みの日は浅草、夕飯は浅草でトンカツと、週に2〜4回は、足を運んでます(^-^) さて、浅草と言えば浅草寺ですが、至近距離(徒歩で大体20分)には皆さんが大好きなお風呂街がありますね! 自分自身はお風呂屋さん街より昔の◯線・青◯時代、明治・大正期の建築に大変興味があり、京都の五條楽園跡や橋本遊◯、八王子の田町等にも、足を運ぶ事も… この日は仕事帰りに銀座線に乗り田原町駅下車 そのまま合羽橋商店街を歩き、目指す吉原へ(^-^) しかしながら、外は当然暗く肝心のカフェ建築(^_^;) ネットに投稿されてるカフェ建築群は写真は晒しても住所地は書かれず 多分、未だアパートとしての需要があったり、取り壊されて住所は掲載してないんでしょうね ヒマそうにして、店先に立ってるお風呂屋さんの従業員にも、聞いてみますがサッパリした答えが無く閑散とした夜の吉原の街をテクテク この日は給料が入ったか入らなかったか分からないビミョーな金曜日 フツーの平日の夜よりは店の車やタクシーが行き交いますが、自分が通った時代(震災前)よりは寂しい限り(^_^;) 看板に灯りは灯ってますが、何処か寂しげ 今は従業員が路地に出て客引きは出来ないので尚更(^_^;) 8〜10年位前なら通りの辻を歩けば写真を持って群がって来たのも今は昔 ムダな時間を費やし、歩いて浅草寺へ…. 途中、吉原神社と言う歴史がありそうな神社があり少々見学 神社を出ようとした時、ガラスケースに興味深い資料が… それは明治27年・関東大震災時・東京大空襲時・公◯廃止時(昭和33年)・平成5年の吉原の地図 この地図を見ながら吉原を見比べ 先ず、吉原へ行く時は店の送迎やタクシーを使うと思いますが、自分みたいに自力で吉原に来て、ちょっと休憩( ´Д`)y━・~~ として寛ぐ吉原公園 ここは東京大空襲まで吉原でも5つに入ったと言う【大文字楼】と言う大見世があった場所 西隣りはやはり大見世の【彦多楼】があった場所 今の吉原公園の北側(ソープの真反対側)の階段がありますが昔はその階段を降りた所は東西に【お歯黒どぶ】があったようです 更にその先は田圃(今は住宅地) 【大文字楼】は東京大空襲までは存続していたようですが、昭和33年の公◯廃止時には既に空き地だったみたいです 隣りの【彦多楼】は関東大震災時には既に無く、いくつもの置屋があったみたいです 続いては今でも名前がある◯海老ですが今の角海老と昔の◯海老は全くの別物で名前を借りてるだけのようですが、昔の角海老楼は今の場所より南にあり、今の住所地で言うと千束4丁目29番地 今はマンション建ってま〜す(^o^)/ 参考までに今の◯海老のある場所は明治27年時は【市野楼】と言う張見世があり関東大震災時には店の敷地が4分割されていて東京大空襲から公◯廃止の昭和33年まで【徳兼】と言う店だったようで… 昔から吉原にあった稲本楼は今も同じ場所で敷地は小さくなりましたがビジネスホテルとして存続してるようですm(_ _)m 自分が吉原デビューした深海魚と言う店は平成5年には既に無くなってました(^_^;) 2回目に行ったペペルモコはこの時点ではまだ存在してたようです 今の店舗は【特◯室】と言う名になってるようです ペペルモコのシェリーちゃん元気にしてるかなぁとふと思ってしまいました(^_^;) 吉原3回目の店のFOXY この平成5年の時点では見つからず…と、言う事は短い営業期間だったんでしょうね! と、言う事で古地図と今の吉原を見比べるのも面白いモンですm(_ _)m . | |
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