タイトル | 自分個人の風俗の履歴(昭和60年代編) |
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投稿者 | 少佐 |
投稿日 | 2018年01月11日 |
『自分個人の風俗の履歴(昭和60年代編)』 これは自分自身の風俗に関する風俗の履歴です(^-^) 今の時代とは当然違い、当時はこんな街(所)にも風俗店があったの?とか、そう言う店があったね!とか、思い出して貰えば幸いです(^-^) 尚、既に閉店してる店・店名が変更してる店などは伏字にはせず、実名を書かせて頂きますm(_ _)m 先ずは、時代は昭和60年代です この時代の自分は18〜21歳の年齢 この時の職業は主に専門学校の学生と社会人の時代(ごく僅かにフリーター)です(^_^;) 18歳の時、地方から進学で上京したのですが、当時は風俗業と言うのがある事自体を知らなかった年齢でした(^_^;) 風俗業界があるのを知ったのは、同級生が買って来ている日刊スポーツの風俗欄 自分と同じ(ちょっと歳上の子)の裸が簡単に見れるのか?!と言う衝撃がありました♪( ´▽`) この時に見た新聞を貰い、紹介されていた店に数日後に行ってみました 場所は水道橋 後楽園がある反対側の飲食街の通りにある雑居ビルの2階にありました そのビルの1階は餃子の王将(今の王将の場所と違います)がありました 今はヌキ系の風俗店はありませんが、当時は存在してました(^-^) 店の名前は【ヘルス キューピット】 料金はハッキリ覚えてませんが、学生の自分が入店出来たのだから、8千円くらいだと思います ちなみに時間は3時か4時くらいでプレイ時間は30分程度 初めて入るので今と違い店の前を行ったり来たり… 後ろを気にしたり、正面に人が来ないか?!など、人目を気にしてなかなか入店出来ずでしたが、何とか入店(^_^;) 記憶では、フロントは50歳過ぎのおっさんで人が良さそうな記憶があります 写真等の指名は出来ず、完全なフリーでした 初の相手は自分より1歳、歳上の学生でした シャワーは一緒に浴びたと思いますが、プレイ的には今と違い、かなりソフトな内容でDキスはありましたが、コンパニオンはパンツを穿き手コキの内容でした(^_^;) この店はこの時と次回の合計2回程行きました ちなみにこの時点ではコンパニオンに源氏名がある事自体知りませんでした この次に行った店は大塚にあったヘルスで店名は【仮面貴族イブ】 ここの情報も日刊スポーツの風俗欄 行った時間は開店直後で30分1万程度だと思います あの時の記憶だとフロントは25歳くらいのバイトの兄ちゃんでフロントでギターを弾いていた記憶があります 開店直後に店に来たので、まだコンパニオンが来てない様で30分位待った記憶があります ここもフリーで全く選べずでした(^_^;) やがて、コンパニオンが出勤して来て、仕事前にカツ丼をフロントの兄ちゃんに注文してました ここでのプレイもパンツを穿いての手コキの内容でした 意外にも、ヘルスに行ったのはこれが最後になります 次に行ってみたのは、池袋の西口にあったソープ 店名は忘れましたが、場所は今では考えられない所にありました 池袋駅西口の三菱UFJがある裏側の通り ロマンス通り又はエビス通り辺りの記憶があります 当時はその周辺にソープが3店程度あり、相変わらず正面の通行人の目を気にしてなかなか入店出来ずでした(^_^;) それでもスケベ心が勝り、入店ヽ(´▽`)/ 時間は60分で総額15000円 付いてくれたコンパニオンは高崎市出身で当時の見た目の年齢は20代後半だったと思います コンパニオンの名前は○○ この時に初めてコンパニオンに源氏名があるのを知りました その後、学校の寮の洗面所に紐で縛られて置かれた風俗誌と言う雑誌の存在を知りました(寮の規則で雑誌・新聞・瓶類は洗面所に置く事になってました) 雑誌の名前は【おとこの遊艶地】 その後は、この雑誌が自分の風俗のバイブとなりました(^-^) 当時の風俗誌はソープのお姉さん達も誌面で乳を露わにしていて、なかなか面白かったモンです(^-^) この雑誌のおかげで川崎の堀之内や南町のソープの情報を知りました ただ、ソープの料金にある総額は分かっても、店によって掲げている入浴料・サービス料と言うのを理解するのはもうちょっと先になりますが… ここまで学生時代(20歳)の話です ここからは、社会人になってからの話になります 社会人になってからは神奈川県の大和市に引っ越しして会社は横浜の鶴見 鶴見に近い繁華街と言えば川崎 川崎の風俗と言えば、堀之内・南町のソープ(^-^) 学校が京浜東北線沿線にあり、よく学校帰りに川崎駅周辺で遊んでた事もあり、また雑誌のおかげもあり堀之内のソープの位置は知ってました 30年前ですが当時、行った店を列挙すると【カンカン娘】【白亜館】【平安】【プレイボーイ】【金瓶梅】と言った処 【プレイボーイ】は今、実在する店の前身の店名だと思いますが、当時は90分3万5千円でコンパニオンのコスチュームはバニーちゃんスタイルでした(^○^) 写真で選べました 今は高級店の【金瓶梅】もその当時は中級・大衆店で90分3万5千円 当時の金瓶梅は水着姿のコンパニオンを実際に見て選べると言うシステムでしたが、自分が入った時は1人しか見られず、自動的にそのコンパニオンにお相手してもらいました(>_<) 当時のソープはN○がまだ当たり前の時代でした それと、ソープと言う言葉がまだ充分に、浸透せずトルコ風呂と一部の人間が言ってた時代でもありました(^_^) 川崎のソープも上記の5店舗を各1回づつの来店で終わりましたm(_ _)m その他にソープ活動と並行してたのは、今の風活のルーツ?にもなってる【テレクラ】 当時、住んでた大和市には土着のテレクラが1店舗と準大手のアップルハウスと言うテレクラがあり、後者のアップハウスへ… 当時の料金は入会金はナシで1時間3000円 当時は○○パックと言ったパック料金などは無く単純にα時間×3000円の時代 初めて行ったのは土曜の夜で、この頃には土曜の深夜の王様番組の【オールナイトフジ】も下火になり面白いコーナーを観てからテレクラへ… 当時のテレクラはホントにフツーに電話を取り(早取り・引継ぎ制の2種類)気が合えば、会って食事やカラオケ・ホ○ルと行けたモノでした 今の時代の様に援○○際と言うモノが無かった時代でした 実は初めて行ったテレクラで相手は近くで公衆コール(公衆電話)、初アポでした 深夜に会って、このまま自宅マンションに連れて行き、そのままニャンニャン(死語)と上手く行きました これをキッカケで数回、美味しい思いをし、テレクラ通いは4年程、続きました 以上が僅か3年余りの昭和60年代の風俗の履歴ですm(_ _)m | |
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