タイトル | 【一緒?別?】「遊郭」と「ソープ」どう違うのですか? |
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投稿者 | nognog |
投稿日 | 2023年02月21日 |
『【一緒?別?】「遊郭」と「ソープ」どう違うのですか?』 [遊郭とソープランドって一緒なの?] 「遊郭」と「ソープランド」についてご質問を頂きましたので整理してみたいと思います。 結論を先に書いてしまいますと「一緒ではないが一部で引き継いだ部分がある」となります。 まずは「遊郭」って何か、次いで「ソープランド」って何かからご紹介してゆきたいと思います。 [遊郭って何ですか?] 遊女(花魁ら太夫など)を集めたお店である遊女屋を集め、江戸時代に幕府の都市政策の一つとして特定区域に強制的に集中して公認したものです。つまりお上が「ここでなら営業していいよ」と指定したエリアでのみ営業が許可されました(運営は民間業者で公営ではない)。 江戸時代ですと江戸吉原(当初は日本橋人形町の久松警察署付近一帯、明暦の大火以降は現在の吉原のソープランド街)、京島原(京都中央卸売市場からJR線を挟んだ反対側)、大坂新町(現在のオリックス劇場周辺)が三大遊郭でした。その後各地に広がりますが、ほとんどは中心地から離れた湿地帯などに置かれました。これは風紀上の理由が大きいとされます。 ただし遊郭は落語「幾代餅」で「十両」と出てくるように非常に高額で、庶民向けではなかったようです。庶民は「岡場所」と呼ばれる市中の非公認のお店や「夜鷹」と呼ばれる街娼が中心でした。これらは吉原に比べると遙かに安かったようです。高級ソープの女の子を1日貸切vs激安デリのショートコースくらいのイメージでしょうか。 その後明治になり地方を含め各地にできました。都市政策上店を固めた方が風紀を維持しやすいですし、陸海軍の師団が置かれるなど男女の人口バランスが極端な土地での需要が増えたことが理由とされます。とはいえ江戸時代と同様川沿いの湿地帯や刑場跡などあまり良い土地とは言えない場所が指定されています。 一方で数が増えたことで江戸時代から比べると値段が下がり、今の高級ソープくらいになります。1929年の段階で全国に約510ヵ所ほどがあったとされます。一方風紀上の問題で埼玉と群馬では遊郭が廃止されていたようです。 戦後1946年にGHQの指令で遊郭は廃止されますが、「赤線」として実質残ります。しかしながら1958年の売春防止法施行でついに長い歴史を閉じました。ただし関西では「新地」という形で現在に至るまで一部残っていることはご存知かと思います。 [ソープって何なの?] 現在のソープランドの元祖と言える個室浴場「東京温泉」が銀座で開店したのは1951年です。ただし女の子は着衣のままで性的サービスもなかったそうです。今で言えば非風俗のメンズエステみたいなものでしょうか。ですので旧遊郭を引き継いだ赤線ではなく人が集まりやすい主要ターミナルの駅前などに店がありました。 しかしながらメンエスに「睾丸マッサージ」「鼠径部マッサージ」などが出てきたように手コキながら性的サービスを行う店が次第に主流になります。これとてソフトサービスだったのです。 現在のようなベッドプレイは1958年の売春防止法施行で職を失った女の子たちがトルコ風呂に流れてきたためで、旧遊郭だった吉原もトルコ風呂に変わってゆきます。つまり7年間は遊郭を引き継いだ赤線とトルコ風呂が同時に存在していましたから、「遊郭とソープは一緒ではないが一部で引き継いだ部分がある」ということになります。 ただしトルコ風呂に転業した旧遊郭は全国的に見れば多くなく、料亭や旅館に転業したものの立地が良くないことから閉業する例が相次ぎ、今は歴史の中に埋もれています。典型的な例が旧洲崎遊郭(現在の江東区東陽一丁目)で、現在も堀や川で囲まれた遊郭時代の正方形の地形や「大門通り」などの名前が残っていますが、町から遊郭時代の面影はほぼ失われています。 また青線(遊郭ではない市中の非公認の店)も同様で、トルコ風呂に転業する例、特殊飲食店から一般飲食店に転業する例などが相次ぎます。新宿ゴールデン街などは青線から一般飲食店に転業した例です。一方でちょ○の間として残った例もあります。群馬県は遊郭もソープも縁の無い土地ですが、両毛線沿線のあちこちの町にちょ○の間ができ、遊び場となっていたのです。 [ソープが今の形になったのは・・・] 廃止された赤線や青線がトルコ風呂という形でなし崩しに復活した形を快く思わないお上は「東京オリンピック(1964年)に向けて環境浄化を行う」との名目で取り締まりを強化し、再び手コキ中心となります。この規制がそのまま残ってしまったのが「ソープランド」を名乗りながら最後の店が閉店するまでヘルスプレイだけだった岡山のソープランドであろうと思われます。 それでもお店は増え、徐々にベッドプレイが再開されます。1960年代後半に川崎の堀之内が過激サービスを再開させると、ほぼ今の形になってゆきます。さらには1971年に琵琶湖岸の田んぼに雄琴の1号店がオープンし大評判となると業界はピークを迎えます。一方で滋賀県を除く関西には「新地」が残り、強力なライバルであり続けます。 [ということは遊郭出自じゃないソープもあるの?] そうなんです。 遊郭が出自なのは吉原、川崎南町、名古屋(中村)、神戸福原、高松城東町、沖縄辻などです。ススキノは歴史をたどれば遊郭ですが、遊郭は郊外に移転し、その跡地が再び歓楽街になった歴史を持ちます。 その他のケースでは ・旧青線 新宿歌舞伎町、川崎堀之内など ・人の集まる駅前 池袋、千葉など ・温泉や寺社の門前 山中、片山津、道後など があります。 ※千葉駅はかつて千葉市民会館付近にあり、栄町は旧千葉駅の駅前でした。 同じようで実は違うのが「遊郭」と「ソープランド」です。ただソープが今の形になって半世紀が経ち、当時新築された箱が老朽化しているのは皆さんご存知の通りです。耐震性の問題もあり、果たしてどうなるのかと私も気になっています。 | |
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