タイトル | 那覇市歓楽街散策レポ ~出没!イロ街ック天国!⑥~ |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2023年02月16日 |
『那覇市歓楽街散策レポ ~出没!イロ街ック天国!⑥~』 🌆出没イロ街ック天国!👣 肉体密着系風俗街エンターテイメント 今回は沖縄県那覇市の歓楽街にGスポットを当てます。 【🗾沖縄県那覇市】 改めてご紹介するまでもありませんが沖縄県の県庁所在地であり、琉球王朝時代より沖縄経済・行政の中心地です。 沖縄県はJRなどの普通鉄道が通っておらず、沖縄市内の主な公共交通期間はバスと県内唯一の鉄道であるモノレール🚝『ゆいレール』が通っています。 主な観光は 🏰首里城 🛍️国際通り 🌴識名園 市南部にはラムサール条約選定の干潟である、 『漫湖』🏞️ を見ることができます。 グルメ・特産は 🍥沖縄かまぼこ 🌭ビーフソーセージ 🍪ちんすこう 🦆❓カラス(海産物の塩辛) ちなみに、那覇市内中心部は空港が近く高層ビルが建てられないため青空が大きく見え、また台風による倒壊対策のため国際通りや国道・県道等の幹線道路沿いを中心に“無電柱化”を進めているので、都会化されていながら景観がよいのも印象的です。 【那覇市への主なアクセス】 沖縄本島へのアクセスはメインが空路となり、その玄関口となる✈️那覇空港。 また鹿児島との航路がある⚓那覇港共に那覇市内ですので、そこから国際通りの起点など中心部となる県庁付近へのアクセスをご紹介します。 ■空路 🛬那覇空港より →🚝モノレール『県庁前』…12分 →🚌バス『那覇バスターミナル』(旭橋)…10分 →🚶徒歩…約1時間 ■航路 🚢那覇港 ・鹿児島から25時間 →🚶徒歩…19分 【🏙️南国のリトル歌舞伎町・松山】 那覇ナイトスポットの代表格が松山地区です。 松山地区は国道58号線の西側にあり、太平洋戦争の那覇大空襲により焼け野原から戦後、卸問屋街として復興。 卸問屋が各地域へ移転していくとモノレール『県庁前』~『美栄橋』駅の中間、国際通りからも徒歩で10分ほど徒歩での好アクセスもあって入れ替わりで飲食店ビルが立ち並び、現在の歓楽街となったそうです。 歓楽街は国道58号側にエリア自体は広くはありませんが、バー、クラブ、セクキャバといった飲み系が密集しており、🚥『松山』交差点付近が特に賑やかでナウなヤング(死語)がたむろい、そしてキャッチが多く、一帯の電柱や商業ビル壁、コンビニには迷惑な客引き・客待ちに向けた看板や張り紙が目立つほどです。 中には… “客引きを目的としたアマチュア無線の使用は犯罪です” と、併せて無免許違法無線の警告も…無線使った客引きって!? そんな賑やかな松山にはビジホやシティホテルもあって、件の好アクセスに加え静かな昼間は近隣に⛲福州園という中華庭園もあり、少々距離はありますが離島航路が発着する⚓泊港や後述の🛁“辻”や⛩️波上宮も徒歩圏ですので、男一人旅のベース地としてもおすすめです。 【🛁日本最西&最南端のソープ街・辻】 沖縄県で唯一のソープランドがある風俗街が辻地区です。 市中心部から北西方向で海に近く、アクセスは公共交通だとバスは『🚏上之蔵』が最寄りで、モノレールは『旭橋』か『県庁前』から徒歩で15分超といったところです。 ~辻の略図~ N↗️ ⛩️波上宮→ │▣▣│🏩 🏩│ 🏩 │ │ \───┴──┼───┼ ──┼─┤ \ ♡ ♡ ♡│♡♡♡│♡🏩│ │ ─\─────┼───┼ ──┼─┤ \♡ ♡ ♡♡│♡♡♡│♡🏩│ │ ──\────┼──┬┼ ──┼─┤ \♡ ♡ ♡│ ▣││ │ │ ───\───┼──┴┤ │ │ \ ♡ ♡│♡ ♡│ ♝ │ │ ────\──┴─┬─┴ ──┼─┤ \ │ │ │ ↙🚝旭橋 🚏上之蔵 🚝県庁前↘ ※ ─ = 約40m ♡…風俗店ゾーン 🏩…ラブホゾーン ▣…公園 ♝…辻遊郭開祖之墓 🚝…ゆいレール駅 辻エリアの風俗店は🛁ソープランドで30軒以上。 🚿箱ヘルと👍メンエスが片手で数えられる程で北側にラブホが立ち並んでいます。 メインであるソープは8割位が激安・格安店で残りも大衆店と大変おサイフに優しいソープ街で、最安で30分コースを設けていたり、営業時間も姫によって未明まで営業してるお店も多く、タレント経験者や現役・元AV姫が在籍しているお店もあり、その中には10'前後に大ブレイクしたS1級ハーフAV女優さんも💕 NS対応コースを設けているお店は10店舗ほどありますが、さらっとチェックした程度ですが在籍に対し対応姫が半数を超えそうなお店は2~3店という印象。 対応コースにプラス料金という所もあるようなのでNSで楽しめるお店は選択肢が限られそうです。 キャッチはかわすと向こうもあっさりではありますが、出ている数が多いので…あ、家庭的なマダム女性スタッフさんもお声がけしていました。 私はソープとメンエスでお遊びしましたがいずれも案内時に身バレ対策の顔チェックがあったので、面積は大きいとはいえ閉塞的な島ならではしょうね。 【🍑琉球王朝時代から続く、格式高い桃源郷】 風俗エリアの外れに♝『辻遊郭開祖之墓』というのがあり、その名が示すとおり当地は遊郭が起源となっていて、この辻遊郭開祖之墓は遊郭創設時の遊女や首里御殿の女性達を弔った石位牌の他に市博物館作成の案内板もあり、当地の成り立ちや那覇の遊郭史を知れる史跡でもあります。 琉球では主に遊女(芸妓寄りも含む)の事を“ジュリ”と呼び、起源は不明ながら15世紀ぐらいには大和(本土)からの交易商や唐(中国)からの使節一行をもてなしたジュリがいたそうで、17世紀には駐屯していた中国使節の護衛兵による婦女子へのいたずらの防波堤として公娼制度を設け、辻と『仲島』(現・那覇バスセンター界隈)に、続いて那覇港付近に『渡地(わたんじ)』と3箇所の遊郭を設け各地のジュリが集約されました。 その中でも辻は薩摩の役人や中国使節向けとして、廃藩置県後は一般の地元民も利用するようになっても旧士族や豪商が出入りした格が高い花街だったそうで、明治pに仲島、渡地の両花街が辻に統合されたことで沖縄最大の花街となり、政府要人や官公庁、地元商人の接待に利用されました。 遊郭といっても本土のそれとは少し異なる特徴があって、座敷(妓楼)は『アンマー』と呼ばれる女将を筆頭に、ジュリ、アンマーが産んだ子や貧困のために幼い頃に売られた子などで女性だけの家族的なものを成し、また遊郭そのものも祭事を取り仕切る神職に就く女性を中心としており、まさに“桃源郷”と呼べる女性自治の小社会だったそうです。 彼女たちは普段から辻を含む家族・肉親をはじめ人との結び付きを重んじ、夜は辻を訪れる客に安らぎを与える為、磨きをかけた歌や舞踊、三線・琴などの芸事や料理などでもてなし、ジュリによってはその後に夜伽まで…と心身共に尽くしたそうです。 そんな辻も空襲により焼失してしまいましたが、戦後再びバーや料亭がひしめく歓楽街に再建され、米統治下時代は沖縄の伝統芸能を楽しめると米軍人も好んで利用したそうで、現在も三大料亭と呼ばれた一軒は現役で営業しています。 そして辻は遊郭からソープ街へと形を変え、再び沖縄最大の色街としてカムバックしたのでした。 …いかがだったでしょうか? 沖縄観光やお仕事のおりには、琉球王朝時代より続く那覇を代表する色街で令和のジュリ達のおもてなしに癒されてみては? | |
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