タイトル | 沖縄のディープゾーン・旧社交街を散策してきました① |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2023年02月01日 |
『沖縄のディープゾーン・旧社交街を散策してきました①』 どーも、タンスにゴンゴンと申します。 先ごろ沖縄旅行に出かけ、観光の合間にお遊びや当地の社交街も探索いたしました。 “社交街”とは、いわゆる “👯歓楽街”“🍻盛り場”と同義の沖縄独特の呼称で、那覇市内の代表的なナイトスポットである『松山』は前者。 昔ながらの『栄町社交街』『竜宮通り社交街』は後者の趣です。 しかし、これらを含む多くの社交街の出自は太平洋戦争終戦後、駐留する米兵🇺🇲を相手に沖縄各地に開かれた特殊飲食店(ちょんの間)街で、その後の浄化運動により多くの旧来の社交街がその姿を消しました。 そんな旧社交街の中でも全国屈指の“ちょんの間街”と呼ばれた、 ◇宜野湾市・旧『真栄原(新町)社交街』 ◇沖縄市・旧『吉原(コザ吉原)社交街』 を訪ねてきましたので、その様子をお届けしたいと思います。 ご興味があれば、お付き合いのほど…🙇 【社交街の歴史について】 冒頭に記した通り、社交街は終戦直後に駐留していた米兵相手に営まれた特殊飲食店(ちょんの間)街として発生し、その経緯は商売としてはもちろん、一説には駐留兵による犯罪…特に婦女子に対するそれを抑止するためとも言われています。 しかし、ほどなく米軍側が主に性病蔓延対策として“Aサイン制度”をはじめとする風紀、衛生に対する制度や規律を設けたため米兵相手への商売が成り立たなくなり、地元住民向けにシフトし赤線地帯となりました。 そして2009年頃から沖縄県内で違法風俗店に対する浄化運動が活発となり、その結果ほとんどの違法風俗店が摘発・廃業に追い込まれ、現存する社交街は那覇市を中心とした接客飲食メインの街のみとなり現在に至ります。 【そこはかつて、“新町”と呼ばれていた】 まず向かったのは、旧『真栄原社交街』です。 目的地のある宜野湾市はその中心部を普天間基地が占有している“基地の街”の一つで、目印となるバス停名🚏『第二真栄原』とカーナビに入力すると、目的地設定の広域地図に示されたそこは、普天間飛行場に至近。 真栄原社交街は『新町』とも呼ばれ、この普天間基地に駐留する米兵を相手に、そして日本人向けに転換した後も当地の様子が本土に伝わると、それを含みの観光客もやってくるようになったことで栄え、往時は100軒超の置き屋が並び、横浜・黄金町や大阪・飛田新地と並ぶ“三大ちょんの間街”として沖縄最大のディープスポットとなりました。 しかし件の浄化運動が活発となった折、この真栄原社交街は市のみならず地元女性団体の強い反対運動も相まって、その先鞭のような形で2009年に一気に壊滅へと追い込まれたそうです。 ナビに従って沖縄の街並みを眺めつつドライブし目的地付近に至ると、県道沿いに目印となる珍妙な店名の喫茶店を発見したので、最寄りのコインパーキングに停めてアプローチします。 この珍名喫茶店の脇にはかつて社交街の入口を示すゲート看板があったらしく、先ほど入力したバス停もかつては『新町入口』という名称だったものが浄化と共に撤去・改称され、新町の名は公に抹消されました。 しかし、旧地探索の定石である電柱上部にあるプレートを見れば… 『新町 第◯支』 しっかりとその痕跡が確認できます。 入口からしばらくは2層超の比較的新しいマンションやアパートが立ち並んでいるので壊滅後住宅地に転用したエリアと思われ、当然というか生活感があります。 ただ、その中にあるテナント喫茶店のドアが開いていて道から店内が覗けましたが…内装がパブ調。 ドア脇には🔞18禁札があるので恐らく🪙ゲーム喫茶なのだろう(先ほどの珍名喫茶も)…ディープな香りもほのかに。 【一気に生まれ、一気に消された街】 そんな小路をしばらく歩くと、電柱に “違法風俗店取締中” との看板が取り付けられているのが目印のように、ここから雰囲気が一変しました。 平屋または2階建ての無機質で寂れたコンクリート長屋が軒を連ね、所々に空き地も見られます。 低層の住居や建物は古き沖縄建築ならではとも言えますが、ここのそれは一棟に対しアルミのドアなり引き戸が圧倒的に多く窓にもアルミ格子が掛かっているのが異質で、仮設住宅のような急ごしらえでそれ用の街が作られたというのがよくわかります。 ┏━━━━━┓┏━━━━━┓┏━━━━┓ ┣━━━━━┫┣━━━━━┫┣━━━━┫ ┃🚪🔳🚪▥ ┃┃▥🪟 🚪 ▥┃┃🔳🪟🪟 ┃🌿🌿 🪟=引き戸 ▥=格子窓 戸数として50戸程度は残っているでしょうか? ごくわずかに建て替えやリノベして商店や飲食店に、あるいはそのまま住居として利用されているようですが、そのほとんどは往時の社交業組合証や18禁札などがそのままで、戸板が打ち付けられていたりと打ち捨て状態で、先ほどの入口界隈とは異なり生活感に乏しいゴーストタウンの様相です。 (少し外れに🎌な車が数台停まっている場所もありました…) …浄化運動の件で“壊滅”と表現してますが、その言葉がしっくりくる有様。 昨年廃業に追い込まれた『かんなみ新地』ならともかく、20年以上経ってこの状態…業態の是非はあれど、浄化という名の根絶やしが行われたと思うとやるせない気持ちにも…。 ちなみにこの一帯も(本レポ時点の)1年後には再開発される予定とのことなので、いよいよ本当の“浄化”を迎えることになります。 次は旧『吉原(コザ吉原)社交街』へ向かいますが、それは次回にて。 よろしければお付き合いの程…🙇 | |
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