タイトル | エクスタシー、快感のMAX |
---|---|
投稿者 | ルーリー9nine |
投稿日 | 2016年02月13日 |
『エクスタシー、快感のMAX』 MAX?それは『安室奈美恵とスーパーモンキーズ』からボーカルだけ抜けた残りのメンバー…いや、確かにソレも『MAX』だけど、それじゃない別の…というか、普通の意味のMAX…言い換えれば『 人生で最高の 』ですよ、ええ。つまり『 人生最高のエクスタシーはいつ、どんな時だった? 』って事です。 1985年の初吉原は、それはそれは気持ち良かったですよ、そりゃ。ほとんど経験なかったFェラ、それをトルコ改めソープ嬢に色々なシュチェーションで受けるのだ、今までの人生で味わったことのない、桁違いの快感! さらにMット!上から下の末端まで、全身に初めての気持ち良さがまとわりつくのだ。そりゃ、この時点のMAXではあったはずだ、例え正〇位や〇ックがうまい具合にいかなかったとしても。(騎〇位はあちら任せで、下手に動かなかったはずなので、悪くなかったと思う ) しかし現在、それがMAXとはいかない。 というのも、吉原には初めての登楼後2012年上半期まで空白があった。その年下半期に『千足散策』を再開し、平行して新たに踏み込んだホテヘルとの両業態いずれかを、平均して月に2回弱程度更新している現状。 場数を重ねれば、最初の嬢は超絶テクニシャンと思っていたものが、同じレベルを何回も体験して、さて最高のエクスタシーは件(くだん)の嬢の時だっただろうか? エクスタシーで特筆すべき機会だった『 2回のシオ吹き 』と1度だけ経験した『 腰を抜かされて立てなかった事 』は、さてMAXだったろうか?( ホテヘルではないのは間違いない ) 違う!…違う、やはり。人生で最大のエクスタシーはそれではないのだ! 1993年の8月か9月、今はなき新宿厚生年金会館、大ホール。ステージにはCoCoの4人が立ち、私は1階の最後列で立っていた。なぜなら、CoCoのコンサートは開演をつげるオーバーチェア( オーバーチャー ) から即、総立ちがお約束だからだ。 当時のノリの主流であるPPPH ( パン・パ・パン・ヒュー ) は、曲の転調に合わせて「 フー 」( ヒュー ) と叫びながらジャンプするもの。私はジャンプすればぶつかりそうに低い天井ゆえに跳び方を加減しながら、しかし普段にも増して力を入れて叫び、ジャンプし続けた。 光の中で女は歌い、バンドのけたたましくも繰り返される旋律の音曲に合わせ、客席全体が私と同じように跳ぶ…夜の火祭りのごとく我々を陶酔させていた。 そんな中で、私は普段のCoCoのコンサートと同じ行動をしていたつもりだったが、夏のツァーも終わり頃だっただけに、春ツァーの始まる新春までコンサートがなく4ヶ月は跳び納めだったために、いつもよりも興奮していたのかもしれない。まるで電撃をあびるように、快感が脊髄から全身を走っていた。こんな事は初めてだった。 普段と同じようにコンサートは展開し、私のノリノリぶりも普段と同じだったはずなのに、なぜこの時だけなのか?思い返せば( 先の通り、夏のツアーも終わりだったとはいえ )キャパ2500の大ホール最後列ともなれば、ステージのメンバーは豆粒のよう。視覚的楽しさはかなり減らされ、「 もはや跳ぶしかないではないか! 」という、ちょっとヤケ気味であったのかもしれない。なぜなら、席が前の方ならノルよりもつい見てしまうからだ。 ※当時はステージ背後にスクリーンは無いか、あっても小さく、なにより近年の大ホールでは必ずやっているステージの状態を進行するままに映すような事はほぼ無かった。後方の座席は、ステージのままを見るしかなかった。だから「 もはや跳ぶしかない 」なのである。 風俗は、気持ち良さで日常の及ばぬものである。それがために吉原に通う事を止められない。2012年下半期に開かれた風俗の扉を閉める事は、もう出来ないのだ。 が、快感のMAXをコンサートで味わってしまった。いかなるテクニシャンを以てしてもかなわなかったが、あの日の痺れるような快感は、後のどのコンサートでも再現される事は無かった。しかしあの気持ち良さは忘れられず、ライブ、コンサートの場を離れ難い。私がアイドルヲタクを止められない所以なのである。 …私は風俗もアイドルも止められないという話でした。 | |
この風俗コラムへの応援コメント(15件中、最新3件)