タイトル | 横浜駅 ここもまた店舗型風俗不毛の地 |
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投稿者 | すなだるま |
投稿日 | 2022年06月13日 |
『横浜駅 ここもまた店舗型風俗不毛の地』 ようやく予約のとれたレア出勤のヒメ達に当欠くらうこと3連発、悲しみに打ちひしがれているすなだるまです、こんにちは。 しかも身体的アクシデントで趣味もままならず、昼間からアル注しながらキーを叩いております。 さて、前回・前々回の新横浜に続き、今回は横浜駅周辺の店舗型風俗の歴史に触れてみたいと思います。 ただし、自分の記憶を頼りに、Web上で調査できる情報を基にしていますので、何か誤情報などあった際には補足・訂正などいただけると幸いです。 横浜の鉄道駅としての歴史は、今年で丁度150年。記念イベントなどの情報を目にした方も多いのではないでしょうか。 ただし初代駅は、現在の桜木町駅の位置だったそうです。 以前のコラムで触れた高島町付近というのは間違いで2代目駅、東海道線の延線に伴う移動だったそうです。 その2代目駅は関東大震災で壊滅的な被害を受け、その後の復興で現在の位置に3代目の駅が作られました。 以降、現在に至るまで大きく発展してきましたが、何故か改修工事が続いたまま。 日本のサグラダファミリアなどと揶揄されているのは有名な話です。 ちなみに1960年代に撮影された画像がありますが、東口はほぼ港のみ。 西口は大きなビルが数軒できているだけで、現在の鶴屋町や南幸2丁目のラブホテル街あたりは木造住宅街となっていました。 平成一桁までは結構名残があったのですが、今ではほとんど再開発済みとなっているようです。 長い前置きはこれくらいにして、ようやく本題の風俗店のお話。 業種別にまとめてみたいと思います。 『ソープランド』 いわゆるト〇コ風呂の時代には2軒ありました。 一軒は今でも残るト〇コF、もう一軒は駅から見てハ〇ボ〇ルの手前にあった西口ト〇コというお店です。 どちらもあの騒動の末に、ト〇コからソープへと名称を変更していました。 西口ソープランドは80年代後半あたりで廃業してしまいました。 廃業前に一度だけ行ったことがあるのですが、当たったのが所謂ベテラン嬢。 しかもやる気はまったく持っておられないようで、おざなりなマットプレイの後はベッドで「勝手に腰振ってイッてくれ」状態。 当然、そんな状況で盛り上がれるはずもなく、自身初の”イけなかった”風俗体験となったのでした。 『ヘルス』 自分の記憶の限りでは2軒存在していましたが、このあたりが微妙というか・・・ 自分が突撃したことがあるのが、岡野町交差点のさらに奥にあった箱ヘル(名称失念)でして。 あとはもう一軒、局に今でも掲載されている息の長いお店。 こちらはHPに書かれている時代には、現在地には無かったような有ったような・・・ この2店が別物なのか、それとも営業場所を移転した同一店なのか。 このあたりが不明なので、情報をお持ちの方はコメントなどいただけると嬉しいです。 ちなみに突撃した内容はといいますと、あまりに普通だったのか、体験談にできるような思い出がありません(笑) ただ、やる気はあるが容姿が〇〇な娘と、やる気は無いがおっぱいの大きな娘がいた記憶があるのみです。 あと、趣旨がちょっと違いますが、NH店が2軒ほど営業しているようですね。 こちらは未訪問なのでコメントはできませんが、口コミが掲載されているようなので、興味がある方はそちらを参照なさってください。 『ストリップ』 確か「横浜劇場、(もしくは「西口劇場」?)という名称で、現在のビ〇〇カメラの裏手あたりで営業していました。 時は昭和の末期でしたか。 当時はまだそのあたりに一般住宅が残っていた時代でして、ちょっと薄暗い路地に一軒だけ電飾ギラギラのストリップ劇場があるという、なんとも趣のある光景だった記憶があります。 突撃したことはないのですが、経験者の話によりますと、OS系のかなり過激な演目を披露されていたようです。 『テレクラ』 80年代後半には、岡野町交差点の手前と鶴屋町の、2軒の単独店がありました。 90年代に入って岡野町のお店が撤退、半ばには大手チェーンのミ〇クが鶴屋町に新規出店。 しばらくは鶴屋町2店体制でしたが、風営法の通学路とか諸々の事情から単独店が閉店。 その後、ビ〇〇カメラ近くの運河沿いにリ〇リ〇ハ〇スも出店しましたが、インターネットの発展に伴うテレクラ業界の急激な衰退とともに、一切の店舗が無くなってしまいました。 ちなみにミ〇クが出店した頃は、景気の悪化の影響で、〇交コールが急激に増えていた時代でした。 当時はまだ公衆電話が一般的で、店舗近くのロ〇〇ン前の公衆電話で女の子を見張り、フリーダイヤルでかけてる子に直接声をかけて交渉するという図々しいヤツもいたそうです。 『デートクラブ』 これは90年代半ばの一時だけで、鶴屋町付近にありました。 経営的に成功したとは言えず、早々に閉店してしまったようです。 稼ぎにならない女の子が前述のテレクラに営業電話をかけまくり、裏のほうにいた方々を巻き込んで問題になった、という話を聞いたことがあります。 『キャバレー』 ロ〇ド〇とかハ〇イとかの有名どころがあった、あのスタイルのお店です。 高度成長期からバブル前夜あたりまで、横浜駅近くの風俗で一番多かったのがキャバレーでした。 西口五番街と運河を挟んだ一帯を中心に、現在の北口近くにもお店がありました。 ただし、全てのお店で性的サービスをしていたわけではないです。 基本的には女性が接待をする酒場で、箱バンと呼ばれる店付きのバンドがショーをして、という形態が元々でした。 それが昭和のユルい規制のもとで、いつしかエロいサービスを行うようになり、というのが実情のようです。 しかし、キャバレーの形態自体が時代に合ったものではなく、今では全国的に見てもほぼ全滅状態のようですね。 自分は世代を外れているので実体験はないのですが、横浜駅近くの数店舗で性的サービスをしていたという話を聞いたことがあります。 ちなみに、キャバレーが時代に合わせて変化していった結果、酒の売り上げに特化したキャバクラと、エロに特化したピンサロに分かれていったと、自分はそう考えています。 しかしながら原点回帰というか、キャバクラの中からセクキャバやおっパブなどが出現する等、昔のキャバレーが辿ったような変化があったりするのもなかなか興味深いところではあります。 番外『成人映画館』 鶴屋町に1軒、相鉄出口側に2軒ありました。 その昔、終電を逃してしまい、オールナイト上映に潜り込んでぐーすか眠っていたところ、夜中に大きめの地震が起きて場内が騒然となった思い出があります。 さすがにあの場で死にたくはなかったです(笑) 以上、横浜駅近辺に存在した店舗型風俗の思い出でした。 何分、大昔の記憶をしなびた脳味噌から引っ張り出しておりますので、誤情報などあるやもしれません。 その時は訂正情報などいただければ幸いです。 そして恒例の蛇足(笑) テレクラの中ではいち早く撤退した岡野町のお店ですが、なんと顧客リストが名簿業者に流出しておりました。 当時のテレクラは形態上のトラブルを避けるために、入会時に身分証明書を必要としていましたので、信頼性の高い個人情報がまとめられていたはずです。 そんな情報が『テレクラ利用者』などというタイトルで、電子データにされているのですからたまりません。 自分はそのお店を利用していなかったので大丈夫でしたが、その当時に妙なDMが着まくったという、心当たりのある方もいらっしゃるかも・・・ このご時世、信用できないところに個人情報は流さないようにしたいですね。 | |
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