初コラム そして新横浜 - すなだるまの風俗コラム |口コミ風俗情報局

すなだるま(6)
    風俗コラム『初コラム そして新横浜』
    タイトル初コラム そして新横浜
    投稿者すなだるま
    投稿日2022年05月16日
    『初コラム そして新横浜』
    ほとんどの方には初めまして、すなだるまと自称しております。
    神奈川県東部を本拠地としている、体験談をちょろっと投稿しただけのしがないオッサンです。
    無駄に長い投稿ばかりで、さらにはオッサンの昔語りというカビ臭い内容ばかりではありますが、暇つぶしにでもお付き合いいただければ幸いです。

    さて、プロフにも書いてある通りン十年ぶりに風活を再開した私ですが、主戦場はデリヘルになっております。
    神奈川東部、さらに絞って横浜市のデリの街といえば、関内周辺・横浜駅西口、そして新横浜でしょう。
    まあ、平たく言えばラブホテル街のある場所なのですが。
    その中で、私が一番よく利用する新横浜について、今回は語ってみたいと思います。

    先に挙げた3つの街、古くから赤線などが存在した色町としての歴史のある労働者の街、関内周辺。
    日本最古の鉄道駅(正確には高島町付近ですが)としての歴史を持つ、交通の要衝である横浜駅周辺。
    で、新横浜とはどういう場所なのかと申しますと・・・

    300万都市横浜における唯一の新幹線駅。
    国際競技場やアリーナなどの大規模イベント会場や、地域の基幹になる大規模病院などもある。
    最近では街を舞台にしたコミックがアニメ化されるなど、知名度も決して低くない。
    しかし某掲示板では「駅のホームから畑が見える」「ちょっと離れれば何もない」などボロクソな評価も受けている。
    で、実際はどういうとこなのかといえば、古くから見ている者からすれば後者寄りの『田舎町』という感が強かったりします。
    先に書きましたが横浜市唯一の新幹線駅、なので新横浜の町としての歴史も開業である前回の東京オリンピックの年、昭和39年以降になります。
    新幹線開業当時の画像とかを見ると、ものすごいです。
    某詩人が見たならば、

    いちめんのはたけ いちめんのはたけ いちめんのはたけ えき いちめんのはたけ

    とでも形容したのではないでしょうか。
    全面畑の中に駅、ロータリーはかろうじて存在してますが、バス停さえも見当たらず。
    今のホテル街にあたる横浜線の西側、すなわち新横浜一丁目方向には道さえつながっていませんでした。
    完全に『オラが村の新幹線』状態です。
    それでも時代は高度成長期真っ只中、駅周辺の畑は潰され、区画整理がなされて街としての基盤が整えられていきました。
    それと同時に、新幹線駅近くという利便性や土地入手の容易性があったのでしょう、ラブホテルが何軒も建設されていきました。
    ちなみに私が新横浜の『町』としての記憶があるのが、だいたいこのあたりの1980年以降です。
    当時がどんな様子だったかというと、今とは大違い。
    オフィスビルなど微塵も見当たらず、駅周辺にせいぜい3・4階建ての雑居ビル程度。
    路地2本も離れれば、運送屋の配車場や建築現場の飯場がゴロゴロ存在して、商業施設など影形もなく、マンションではなく戸建ての住居が点在している。
    そんな感じの、地方都市感溢れる町でした。
    駅の近くにあった古タイヤ集積場で火事があり、猛烈な黒煙で新幹線が止まってしまうなどという事件があったりなど、どの程度の田舎具合だったのか察してもらえるのではないでしょうか。

    そんな町が今のような形に大きく舵を切ったのが、いわゆるバブル景気の時代でした。
    駅前のロータリーを中心とした一帯が再開発され、細切れだった土地が再編されて大型のビルが次々に建設されるなど、今に近い形での街作りがなされていきました。
    その過程において、数件のラブホテルの廃業、バブル崩壊による開発の停滞、98年の風営法大改正後のデリヘル台頭などなど。
    様々な要因を経て、今の新横浜が形作られていきました。


    ここまでほぼ風俗と関係ない内容なので、ここらで軌道修正、新横浜の廃業したラブホテルの思い出などを少々。
    実は1985年付近の新横浜のラブホテル事情を記したレポートが存在したのですが、長年の間に紛失してしまったようなので記憶を頼りに書きます。

    まずは横浜線よりも駅寄りの、新横浜2丁目の物件。
    現在営業中なのは1件だけですが、最盛期には3軒が存在していました。
    一軒目は、日本で最初に洋風の城を模したといわれる目〇〇〇〇ラ〇、その新横浜支店が駅前公園野球場の近くにありました。
    ただ、大型病院建設の話が早くから伝わっていたのか、それとも損切の判断が早かったのか、80年代初頭には姿を消してしまいました。
    当時の深夜TVのCMにおけるあのフレーズが、通りかかる度に脳裏に浮かんでいた記憶があります。
    今は当時の面影などなく、マンションになっているようです。

    駅前公園沿いにはもう一軒、スタジアムに向かう人道橋のたもとあたりで営業しているホテルがありました。
    こちらもスタジアムへの動線上ということで、内々に話がいっていたのでしょうか、バブル期の内に姿を消してしまいました。
    その後は居抜きでカラオケボックスが営業したりしていましたが、やはり今では別の物件に建て替わっているようです。
    ちなみに居抜きのカラオケボックスですが、何度か利用したことがあります。
    無駄に広いラブホ丸出しの間取り、結構好きでした。

    最後に、一丁目の新幹線沿いにあったラブホテルを。
    ここは新横浜では唯一の、モーテル形式を採用したホテルでした。
    とは言っても純然たるモーテルではなく、ビル一階の駐車場の入り口に受付があるだけという、変則的なスタイルでしたが。
    それでもまあモーテル形式、特に人目を気にしたいゴニョゴニョな時などに利用させていただいてました。

    ということで、需要もほぼ無いようなニッチな話題ではありますが、新横浜の思い出を少々連ねさせていただきました。
    ちなみに先出の駅前公園ですが、ここ最近のデリの待ち合わせ場所となっている公園とは別で、鶴見川の支流である鳥山川沿いの一帯に整備されているところです。
    そして完全に蛇足ではあるのですが、この駅前公園の各入口に、とんでもない看板が設置されたことがありました。
    80年代前半の一時期のことなのですが、公園近くの空き地で乗馬クラブを営むご奇特な方がいらっしゃいました。
    こちらがまたフリーダムな方で、公園内や川沿いの遊歩道を無許可で遠乗りのコースになさっていたようで・・・
    で、お馬さんは生き物ですから、当然のように地雷を排出なされていきます。
    その地雷の撤去作業はどうなったかというと、フリーダムな方が責任もって行うはずもなく・・・
    相当量の苦情があったのでしょうね、行政によって公園の各入口に設置された看板の内容が

    『牛馬の立ち入りを禁ず』

    バブル期の政令都市横浜において、この文言。
    画像に残しておかなかったことが、今でも悔やまれてなりません。


    さて、色々書き連ねてきました新横浜今昔物語、今ではこの地もすっかりと近代都市に・・・
    なんてことはなく、鶴見川沿いではウグイスが鳴いてるし、公園沿いの鳥山川には天然のスッポンがいるし、2kmも離れればフクロウの住む林もある。
    今でも変わらぬそんな田舎町が、私は大好きだったりします。

    以上、私の危うい記憶を無理やり掘り返して、書き連ねてみました。
    これは違うだろうという訂正情報やツッコミなど、ございましたらコメントいただけば幸いです。
    超ニッチで内容の薄い長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
    また同様の駄文を空気も読まずに投稿するやもしれませんが、お付き合いいただければ嬉しく思います。
      すなだるま
      女の子の好み
      ☆2
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      好きなプレイとか
      ソフトキス ディープキス マットプレイ
      あいさつ
      神奈川県在住、50代にして風活に復帰したオッサンです。
      相棒である股間の老兵の終活として遊び、記録に残していきたいと思っています。
      拙い文章しか書けませんが、お付き合いいただければ幸いです。
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