【70年の歴史に幕】かんなみ新地が廃業 - nognogの風俗コラム |口コミ風俗情報局

風俗コラム『【70年の歴史に幕】かんなみ新地が廃業』
タイトル【70年の歴史に幕】かんなみ新地が廃業
投稿者nognog
投稿日2021年12月06日
『【70年の歴史に幕】かんなみ新地が廃業』
先月尼崎の「かんなみ新地」の組合が尼崎市・尼崎南署から風営法に基づく警告書を受け取り、組合を解散し風俗営業から廃業することが明らかになりました。

とかく事情の分かりにくい「新地」ですから、「かんなみ新地」の70年間について書けるところまで書いてみたいと思います。

【注】「新地」は東日本で言う「ちょ○の間」の関西での呼び方です。飲食店での自由恋愛を建前にしていることは東西共通です。


[今回お話ししたいこと]
・「かんなみ新地」ってどんなところだったの?
・「かんなみ新地」はどうしてできたの?
・なぜ今警告だったの?
・ちらつく「遠いあの県」の影


[どんなところだったの?]
「かんなみ新地」があったのは阪神電車出屋敷駅近くでした。お隣の尼崎駅からも商店街を抜ければ歩いて行ける距離になります。住所が「尼崎市神田南通」であったため「かんなみ」と呼ばれていたようです。

60×15m程の一角に約30店が建ち並び、「自由恋愛」を建前にした飲食店として営業を続けてきました。夕方頃から営業を始める店が多く、玄関の戸を開け放って座っている女の子を直接見ることができるスタイルで、女の子を選んだらハシゴのような階段を上がって2階の個室でコトに及ぶというものです。

若い子が多い上に実際の女の子を確認でき、料金も20分1万円からと手頃だったこともあって同業の飛田新地はもちろん、福原のソープよりも評判が良かったとされます。


[どうしてできたの?]
尼崎は大阪と神戸の中間にあり、大きな工場から町工場までひしめき合う町です。南から阪神・JR・阪急の3つの路線が東西に走り、川崎(川崎区)や鶴見によく似ています。

戦後復興に必要な鉄鋼製品などの増産のため多くの労働者が集められました。彼らは当然若い男性ですから必要になったのが「新地」だったという次第。戦争で身寄りのなくなった女性が生きて行く場としても必要であったため新地は尼崎市内の各所に闇市同様に乱立します。1951年の新聞記事では9ヵ所、1,000人以上の女性が働いていたようです。

この頃神田南通に映画館「パーク座」が建設されることになり、その資材置き場を不法占拠されないよう小屋を設けて始まったのが「かんなみ新地」の始まりです。このため当初は「パーク街」「パーク」と呼ばれていたようです。昔からの遊郭(赤線:尼崎には存在しなかった)ではなく、戦後に生まれた青線だったのです。

「パーク座」はその後閉館、早くも1960年代には「西尼専デパート」と言う商業施設になり、さらにダイエーが進出しています(三和店:1990年閉店、現在は駐車場)。いつしか「パーク街」も「かんなみ新地」という名前に変わっています。

次々できる「新地」に尼崎市は手を焼き、閉鎖を求めるもののなかなか応じてくれず、1955年に郊外に集約する形で解決を図ろうとしました。それが「初島新地」と「戸ノ内新地」です。初島は大阪万博前にガサ入れを受けて閉鎖、戸ノ内は次第に衰退し、残ったお店も阪神大震災で営業を取りやめて消滅しました。一方の「かんなみ新地」は移転を拒み、現在まで生き残ってきました。


[なぜ今警告だったの?]
首都圏にお住まいの方ならお分かりかと思いますが、川崎や鶴見は工場が移転した跡地にマンションが建てられ町の姿が大きく変わってきました。尼崎も同じで、工場が移転しマンションが建ち並ぶようになると新しく移り住んだ住民から環境浄化の声が強まります。環境さえよければ都心まで短時間で行ける理想の土地であることは川崎も尼崎も同じですよね。

こういった機運がある中で新型コロナウイルスの感染拡大が起き、かんなみ新地も休業を余儀なくさせられました。ところが休業が長期になると組合の申し合わせを破る形で営業を強行する店が出てきました。当然そういった店には客が集まるため、さらに営業再開をする店が出てくる有様でした。飛田新地などが一斉休業を守ったのとは対照的でした。

さすがの尼崎市もこの対応に不快感を覚え、ついに警察とともに異例の警告書を出したという形です。組合が解散しているので再開はないのでは、と言われています。


[ちらつく「あの県」の影]
「かんなみ新地」になぜ若い子が多かったのでしょうか?

通われた方なら分かると思いますが、沖縄出身の子がいたと思います。「何らかの事情でお金を稼がなければならないけれど辻(那覇)のソープだと顔ばれが怖い」という子が遠い尼崎で働いていたのです。

沖縄にも「新地」にあたるものとして「真栄原社交街」「吉原社交街」があり、逆に本土の子がこれらで働いていたこともありました。関西の「新地」と沖縄の「社交街」とは何らかの接点があったと考えられます。川崎や鶴見に沖縄出身者が多いことが知られていますが、尼崎も同じなのです。

しかしながら真栄原は2010年に壊滅、吉原も僅かに生き残っている状態です。これら社交街の元経営者が沖縄の女の子を尼崎に送り出していた可能性があります(社交街時代も含め女の子は自由意志で働いているとされます)。

廃業した「かんなみ新地」の建物では性的サービスを伴わない飲食店を始める動きもあります。そんな飲食店の中に「沖縄そば」の店があることも報じられており、やはり沖縄の影がちらついています。


[最後に・・・]
「ちょ○の間」「新地」は一貫して減り続けており、既に首都圏では川崎の南町くらいに減っています。関西でも1つ1つ消えている状態です。

その一方で「カジュアルソープ」の内容を極限まで簡素化した「ちょ○の間ライクなソープ」も現れつつあります。ショートコースのみ・シャワーのみ・ベッドプレイのみ・1回戦限定といった内容は「ちょ○の間」に近いものであり、形は変われど生き残って行くのだろうと思ってます。
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