| タイトル | リレーコラム…ピンサロ考古学 |
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| 投稿者 | ザーメン シェパード |
| 投稿日 | 2019年12月14日 |
『リレーコラム…ピンサロ考古学』 ACBさんのコラム『ピンサロ今…昔』に、応援コメントを送りたかったんです。が、文字数がトンでもないことになるんですよ! 30年前からピンサロに通ってましたから… と、いうワケで、勝手にリレーコラムとさせていただきます。 万が一、このコラムにポイントが付与されるのであれば、そのポイントは私ではなくて、ACBさんの口座に付け替えてください♪ … 私がピンサロ遊びを始めたのは1986年6月。奇しくも風俗情報誌『シティプレス』の創刊号が発売された時です。場所は巣鴨。 (茨城の田舎者というイメージが定着してますが、生まれは銭形平次と同じ神田明神下なんです!社会人になってからは会社の転勤で神戸、小樽、仙台などを回り、その地の風俗街で遊んでましたが、実家に帰省する度に東京でも遊んでました。) 当時の巣鴨ピンサロ街には『完全前金制』とか『ポッキリ制』と大書された看板が並んでいました。 この表示が無いピンサロは、30分3千円程度で店に入って姫様を隣に座らせて飲み放題。お相手が気に入ったら「飲み直し」を宣言して再び同額の料金を払い、そこで初めて抜きサービスが始まる。と、こういうシステムだったんですよ。 気に入らない場合は女の子から「飲み直し」をオネダリされても断れば良い。したらば別の娘がやって来ます。要するに実物指名!だから店頭に姫様の写真はありませんでした。 これに対して『完全前金制』『ポッキリ制』は、入店時に総額を払えば中で追加料金が発生しない。つまり今のシステムと同じです。 五反田にもピンサロが多いと聞いていたので遊びに行きましたが、『ポッキリ制』の店は少なかった思い出があります。 抜きサービスの内容ですが、都内のピンサロで生尺口内発射が完全に定着したのは80年代前半です。それ以前は手コキでした。 今では信じられない話ですが、昔は『週刊Pスト』や『週刊G代』が時々「覆面記者のピンサロ潜入取材」なんて事をやってました。そのバックナンバーを調べると、70年代の都内ピンサロは手コキ。80年代に入ると同時に生尺口内発射が出てきています。 この時代はまさにファッションマッサージの誕生した時代ですから、そことの競争の結果として引き起こされた変化だと思います。 が、キスがデフォのサービスとなったのは、ピンサロが先でした。86年6月の時点では未だ『プロの女性はキスをしない』という伝統が完全に生きていました。これが崩れ始めたのは秋口。そして年末には、巣鴨ピンサロではキスが当たり前になりました。 おそらく最初は、何回も指名してくれる常連客に、キスへのこだわりのない娘が軽い気持ちでチュッとやったんでしょうね。ところが当時の巣鴨ピンサロはフルオープンでしたから他の客に見られちゃう。で、見た客が姫にオネダリすれば、目の前の出来事ゆえに断りにくい。しかたなく、なんてコトから普及したのだと思います。 翌年になると五反田や小岩のピンサロが『日刊Gンダイ』の広告に「巣鴨流」という言葉を使い始めて、この言葉の意味するところが即ち、キスだったワケ! ヘルスでキスができるようになったのは90年代に入ってからだと認識しています。 回転サロンの始まりは五反田だと一般には考えられていますが、私の知る限りでは巣鴨の方が早かった。87年には『○○』という店が「スーパーMリオシスターズ!貴方は何面クリアできるかな?」などという広告を、やはり『日刊Gンダイ』に出しています。その日のうちに調べに行ったワケですが、これは凄かった! 発射したらば女の子がチェンジ。私の事ですから最初の娘は2分といなかったワケ♪で、次の娘が来る。5分後には出ていく。発射したから… そうやって次から次へ。制限時間内に何発出せるか?というトライアルなんです! 当時、二十代半ばの若者だった私がクリアした面数は………恥ずかしくて書けません! その後、○○○○、○○○○○、○○○○、いわゆる『巣鴨御三家』が3回転サービスを定着させました。フリーで入って3回転は当たり前の話ですが、指名で入ってもなお、3回転なんです! 最初に指名した娘が抜いてくれる。次にヘルプの娘が抜いてくれる。最後にまた、指名した娘が… ヘルプさんの時には発射を我慢するのが粋な遊び方とされていましたが、早漏の悲しさ、無粋な遊び方を繰り返してきました。 今のような、回転とマンツー、二つのシステムを同一店舗で行うようになったのは90年代前半の五反田だったと記憶しています。 当時のブースはベンチシートが当たり前。フラットシートなんて言葉すら無かった。が、89年かな?巣鴨に『○○○○○ ○○』という和風サロンがオープンしました。畳のブースで、襦袢姿の女の子と横になっていちゃこらできたワケです。少し後、大阪でも和風サロンで遊んだ記憶があります。これがフラットシートの元祖なのかもしれません。 それ以外のベンチシートの店では女の子はどんな格好をしていたのかというと、時代が時代ですから、ボディコンのミニスカワンピに踵のドーンと高いサンダル、てのが主流でした。女子高生風の制服ってのは、いつから流行したのか?ちょっとわかりません。 この当時の巣鴨では、女の子は背中のジッパーを下してオッパイを出すだけ。ショーツは脱がないのが当たり前でした。女の子がスッポンポンになるのは五反田の方が早かったと思います。 客の方は、ズボンとパンツを膝まで下げるのが通常の遊び方。足首まで下げちゃう恥知らずは私だけでした。上は当然、着たまま。シャツを胸までまくり上げることすらできませんでした。乳首舐めなんて皆無でしたね。 そして2輪車。これも巣鴨より五反田が先。 やはり『日刊Gンダイ』に華々しく宣伝されて、大喜びで飛んで行きました。が、口〇のある太い娘と綺麗な細い娘のペア。私は細い娘とキスしながら太い娘のフェラを望んだのですが、細い娘が生理だから、と言ってフェラを担当。このフェラが痛くて… 踏んだり蹴ったりの悲惨な発射と相成りました…(←出したんかい !? ) 次にピンサロにおけるクンニの歴史です。 80年代後半の巣鴨でも、クンニをする客はいました。女の子がシートの上に立ち、片足をシートの背もたれの上に乗せる。客をまたぐようにして… 想像しただけで圧巻でしょ !? 凄い眺めでしたよ! もちろん、理性のカタマリ茨城犬はしませんでした。なぜって、背筋の寒くなる光景を見てしまったからです。 私の前の席で女の子が立ち上がってショーツの船底をめくり客に舐めさせる。そして… 「あン!気持ち良い!お客さん上手 !! 」 などと艶っぽい声を出しているワケですが、お顔の方は面倒臭そうな表情で天井のミラーボールを眺めてるんです。死んだ目で… ……… 私の知り合いに、顔も頭も性格も悪いけど、風俗の事に関して異様に詳しい奴がいます。 その男から、FRTシートに関して興味深い話を聞きました。そいつが言うには、川崎○○○がFRTシートの元祖だとか? で、『○○系』の『○○』ってのは、『川崎〇〇〇』の『○○』ではなくて、『FRTシート』の『FR』だと、こういうワケ !? 要するに『○○系』は、FRTシートを普及させたが故に「FRTシート系」で、それを略して『〇〇系』だと、こういう議論です。 もちろん、ウソか本当か?わかりません。 が、私が疑ってかかったら、そいつはムキになっちゃって、色々と説明してくれるんですよ。で、ここから先。彼からの又聞きです。眉毛に唾をたっぷり着けて読んでください。 そもそも「○○系」と呼ばれる店舗群は全て独立した別法人が経営しているのであって、川崎○○○が二号店三号店を出したワケではない。それらの店舗群を「○○○系」と呼ぶのはおかしい。 だいたい一個人なり一法人なりが複数のピンサロ店舗を経営するなんて、そんな危険な事はできるものじゃない。 どういう事かというと、風俗営業法が関係している、というんです。 ピンサロは風俗営業だから都道府県公安委員会の許可を得なければ営業できない。この時に「欠格事由」というのがあって、禁治産者や風営法に違反した事のある個人、法人は許可が取れない。従って、一法人一個人が複数のピンサロを経営していて、どこか一か所が風営法違反で摘発されてしまうと経営者に欠格事由が発生して、全店舗の営業許可が取り消されてしまう。 ヘルスの場合は「性風俗関連特殊営業」だからお上の許可がいらない。届出をするだけ。『欠格事由』なんて関係ない。禁治産者でも犯罪者でも、誰でも自由に始められる。従って一法人、一個人が複数の店舗を経営して、どこかの支店が摘発されたからといって、全店舗が壊滅する心配は無い。 だから大手ヘルスチェーンは〇グループのように、一法人が複数の店舗を経営しているので全国共通のポイントシステムを導入できるけど、ピンサロ業界では、そういう事は行われていない。 では、「○○系」と呼ばれる店舗群は全くの赤の他人なのかと言うと、そうではなくて、一つ一つの店舗は別々の法人によって経営されているが、それらの会社の株式を、『なんとかプランナーズ』という持株会社が一括保有しているのだ。 と、見てきたような話を聞かされました。 風俗営業法に関する部分、ピンサロは許可制だけどヘルスは届出制、という点に関しましては法令を調べて正しい話だと確認できましたが、それ以外の話の真贋は不明です。 巷にはこんな噂話がある、程度に読んでおいてください。 … さて、偉そうな講釈を長々と述べてきましたが、この時代に私が遊び回っていた地域は、巣鴨、五反田、小岩、程度のものです。高円寺、吉祥寺、国分寺の、いわゆる『三寺』もピンサロ街として名高かったけど、今に至るまで遊びに行った事はございません。 あとは栃木県に出張した折りに大田原市のピンサロで遊んだ事が一回、友人に連れられて新宿歌舞伎町のサロンで楽しく遊んだは良いけど、パブクラで10万円ボッタクられた事が一回あるだけ。 90年代に入ると西川口のピンサロに通うようになり(笑)、1999年7月に脱サラ。その後10年間は風俗遊びどころじゃない辛酸を舐めました。古本屋で数年前のシティプレスを買って「都内のセクキャバでは『ブリーフ内射精』というプレイが流行している」なんて記事を読みながらオナニーに耽る日々。 ようやく稼げるようになって風活を再開したのは2009年。西川口は壊滅しているは、ソープでもキスが当たり前になっているは、ピンサロで姫も客も全裸になって69を楽しめるは、セクキャバでブリーフ内射精したら怒られるは…余りの激変ぶりに驚いています。 と、いうワケで、私の知らない考古史料をお持ちの方は大勢いらっしゃると思いますし、私の記憶違いも多々あるかと思います。できれば他の方々に、本件のテーマに沿ったリレーコラムをお願い致します。 そしてまた、未来の考古学者に良質な史料を遺すため、正確な体験談を書き続けていきたいものだと、決意を新たにしたところです。 クッソ長い昔話にお付き合いいただき、厚く御礼申し上げます♪ | |
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