タイトル | 江戸東京博物館と江戸時代の風活 |
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投稿者 | hireidenton |
投稿日 | 2019年08月13日 |
『江戸東京博物館と江戸時代の風活』 世の中、お盆休みですねー 私は仕事ですが、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。 今朝の電車も普段ではあり得ないくらい空いていましたよ! そんな夏休み、もしかしたら、東京に遊びに来るという方もいらっしゃるかもしれません。 そして、いろんなお店に行ってお遊び、、、、 お遊び三昧される方はとても羨ましいですが、予算の関係で、あるいは、精力の関係で、そんなに遊びまくれない、、、 せっかく東京に来たのだから、観光っぽいこともちょっとはしてみたい、、 でも、暑いなか、歩きたくない、、という方もいらっしゃるかもしれません。 そんな方にオススメなのは、両国にある「江戸東京博物館」です。 これは、エロ関係なしに、江戸時代から平成までの時代の変遷を体験型の展示やダイナミックな模型などをふんだんに用いて説明してくれている博物館で、 とても楽しく、そして、勉強になります。 施設が大きく、駆け足で見ても2~3時間、じっくり見るなら、4~5時間はかかります。 施設としてのテーマをとくに定めず、見た人それぞれが展示物から何かを感じ取るというスタイルが、押しつけがましくなくて好きです。 そして、①冷房が効いていて快適で暑さ知らず、②館内が広くて混雑しない、③入館料が大人600円と安い、という現実的な面も見過ごせません。 あっ、前置きが長くなってしまいましたが、もしこの博物館に行かれるなら、風活者として見落としてはいけない部分があります。 それは、江戸時代の風活について触れている点です。 あまり規模は大きくないですし、大規模な模型などもないですが、1枚の説明と3枚ほどパネルが出ています。 1617年に庄司甚右衛門が江戸に散らばっていた遊郭を、当時の町はずれであった現在の人形町の辺りに集約して吉原を作ったが、 都市が拡大するにつれて吉原が町中に位置するようになってしまったため、1657年に浅草寺裏手にある今の吉原に移設したと説明が書いてありました。 パネルには、江戸市中から吉原に行く交通手段とその料金が書かれていたりします。当時は船で行ったりもしていたようです。 そして、吉原の遊女の1日のスケジュールが円グラフ化されており、当時は昼見世と夜見世があって、睡眠時間もほとんどないとても過酷な労働環境だったことが見て取れます。 また、江戸時代の吉原遊女の数の推移もグラフ化されてパネルにしてあります。1830年代の天保の大飢饉の頃に遊女の数が急増しているのが見て取れました。 あっ、そうそう。 江戸東京博物館の説明は吉原の遊郭しかありませんが、この点は、ちょっと補足しておく必要があると思います。 江戸時代、吉原遊郭で遊ぶには大金が必要でしたが、豪商や大名などのお金持ちしか風活できなかった訳ではありません。 「局見世」という大衆店が存在していて、庶民も風活していました。 値段設定や女の子の質はお店によってまちまちだったようですが、畳2枚の部屋で15分程度のサービスと、ちょんの間に近いものだったという説もあるようです。 それよりも、もっと料金的に手軽なのが立ちんぼスタイルの「夜鷹」。 夜道を歩く男性に声をかけて、話がまとまったら、林や河原に行って、ゴザを敷いてスポーツしていたようです。 これだと、そば一杯程度の料金だったということなので、千円にもいかないくらいでしょうか。安いですね! ただし、夜鷹は、性病にかかって遊郭や局見世で働けなくなって流れついた者も多かったようで、性病リスクも高かったようです。 ちょっと思ったのですが、より庶民的な値段でサービスを提供し、かつ性病リスクを軽減するために、 江戸時代にピンサロとか素股前提のヘルスとかを開発してビジネス化していたら、莫大な富を稼げていたかもしれませんね(^^;) あはは。 なお、江戸時代にも、意和戸という名のストリップはあったようです。 ちなみに、江戸東京博物館は、江戸時代から明治・昭和・平成と、時代を追って展示が続きますが、 現代の性風俗に関する説明はありませんでした。まあ、当然と言えば当然かもですが、残念。。。 | |
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