タイトル | 風俗嬢との関わり |
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投稿者 | シンカー |
投稿日 | 2018年05月23日 |
『風俗嬢との関わり』 唐突ですが、風俗嬢と関わることができますか? もちろん客としてではありません。 人として関わることができるか、ということです。 一体何のことかと訝がられるかもしれませんが、フランス文学の名作であるモーパッサンの『脂肪の塊』を読んだ後そんなことを思ったのです。 初めて読んだ時は社会諷刺だなと感じただけでしたが、風俗に行くようになった今読んでみると、他人事ではなくなっていました。 人としてなんて大げさかもしれませんが、優れた小説には「人間」が描かれているので、スケール大きめになるのをお許しください。 まずはあらすじを紹介します。 ◆あらすじ◆ 時代設定は1870年に起こった普仏戦争(以下わかりやすくするためドイツ対フランスの戦争とします。)。 舞台はドイツに占領されたフランスの街。そこから占領軍の通行許可をもらい1台の馬車がとある町を目指す。 乗客は10名。お上品でお金持ちのご夫婦が3組。戦場の看護に向かう尼僧が2人。共和主義の一般市民が1人。そして娼婦が1人。 皆フランス側の人間なのでドイツに対しては敵対心を持っているが、戦争では負けているのでドイツ人に表立って強いことは言えない。 娼婦は小柄でむっちりしており「脂肪の塊」というあだ名が付いた有名人なので、乗客は皆彼女が娼婦であることを知っている。 (酷いあだ名ですが、だらしのない肥満ではなく、むしろ健康的、聡明、誇り高い女性として描かれています。現代のぽっちゃり系の店にいたらきっと看板嬢になるだろうなという印象です。) 馬車が中継地点のやはりドイツに占領された村に到着すると、通行許可証を持っているにもかかわらず、その村の責任者の許可が下りず、一行は足止めを食らう。 理由が分からず混乱していたが、やがて責任者の司令官がその娼婦を抱きたがっていることが判明する。 「ここを通りたければその女と一発やらせろ」という横暴な要求に一同は激怒する。娼婦も敵であるドイツ人なんかに絶対抱かれたくないと要求を断る。 しかし司令官は折れず、あくまで通行許可は出さない。 一同憤るが相手が占領軍なだけに、もめれば命に関わるため、下手に出るしかない。 皆はじめは娼婦に味方していたが、移動できない苛立ちが高まり、怒りの矛先は娼婦へ向かう。「普段は客を選ばずやってるのだから、さっさとやれよ」と皆が心の中で思う。 お上品な方々を中心に、いかに犠牲が素晴らしいことであるかを娼婦に諭し、やるしかない空気を作り上げる。 結局集団の意向を忖度した娼婦が司令官の相手をすることで、通行許可が下りる。 馬車に乗り込むと、お上品なご夫婦達は汚物を扱うように娼婦に冷たくあたる。尼僧はだんまりを決め込む。 娼婦は悔し涙に濡れる。 追い込むことに積極的に加わらなかった一般市民が道中で、お上品な方々に対する強烈な皮肉をかましながら物語は終わる。 ◆問い◆ この作品は上流階級やブルジョワジー、宗教者といった、当時の社会で立派とされた人々がいかに嗤うべきものであるかをいかんなく描いた傑作とされています。 この娼婦は何重にも負けています。祖国が負け、自国民からもはじかれ、最後には折れることで自分にも負ける。 敗戦側という点では同等にもかかわらず、一方で偉そうにしている奴らがおり、他方で娼婦は報われない。一体醜い「脂肪の塊」なのはどっちなのか? 特に男はどれだけ娼婦というものに都合よく「お世話になる」というのか? とまあ作品のメッセージとしてはこんな感じです。 風俗利用者さらにぽっちゃり好きとしてはお世話になっている分、この娼婦に肩入れしたいところですが、果たしてこのような状況になったら、自分はどうするのか? 正直、自己の利益や命が関わるような人間性があらわれる局面において汚い選択をするかもしれません。 風俗嬢と人として関われるか?もちろんそんなことはこの作品に書かれてはいませんが、今の自分にはそのような問いとして読めてきました。 翻訳で100ページもない短編ですが、風俗利用者には刺さるものがあると思うので、おすすめです。 岩波文庫他、多数の翻訳がありますので興味を持った方は是非。 | |
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