タイトル | 非日常の悦び(後編)-中洲の魔力に抗うことは可能か!? |
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投稿者 | moonlight |
投稿日 | 2016年05月26日 |
『非日常の悦び(後編)-中洲の魔力に抗うことは可能か!?』 前コラム「非日常の悦び(前編)出張風活記-上野・吉原-」に暖かい応援コメント、有り難うございました。 風俗体験談であれ、コラムであれ、情報局に投稿する皆さんの動機は何でしょうか。 それは様々だと思いますが、私の場合は、やはり投稿を皆さんに読んで頂けること、そして良評にせよ、悪評にせよ、店について、女の子について、伝えたいと思えることをお伝えできること、そして(できれば)共感して頂けること・・でしょうか。 (もちろん、反論はあって良いわけですが) 応援コメントは、そうした想いを込めた投稿に対する一番の反応であり、励ましです。 この度も、拙稿に多数のコメントを頂き、とても嬉しく思います。ありがとうございました。 しかし、遅筆のため、数多く投稿数できないのが、本当に残念です。 さて、一昨日に続く「非日常の悦び(後編)」を投稿させて頂きます。 ■1 非日常の証し - 出張風俗主義は安泰か? - 「風俗は楽し過ぎるので、日常的に嵌まらないよう、地元では自重。専ら出張時のソープに限定しています。それだけに一回一回が貴重なので、店と姫様の選択は大切。失敗がないように確実な店に行き、指名も事前に調べた上で、が基本です。故あって、例外が生じることもありますが。よろしくお願いします。」 これは『口コミ風俗情報局』の私の個人プロフィールの挨拶文である。 私が初めて風俗の愉しさを知ったのは、1985年の吉原。当時は学生時代の終盤で埼玉在住だった(徒歩数分で都下に至る)。しかし、吉原の不実(当時)のため、半年ほどで当時の風活は終わりをとげた。 その後、20数年間のブランクを経て、吉原への歴史的復帰を遂げたのは2013年7月。現在の居住地は九州であるが、信頼すべき馴染み店との出会いにより、ソープの面白さを再発見したのが契機であった。 そして、復帰以降の風俗歴を列記すると、まさに上の挨拶文どおりの風活であることが分かる。 ●2013年 (注1・2 7月【吉原】1 8月【吉原】1 9月【吉原】1 11月【吉原】1 12月【吉原】3 ●2014年 2月【吉原】3 4月【吉原】1 5月【吉原】5 6月【吉原】2 8月【吉原】1 9月【吉原】2 10月【吉原】2 11月【吉原】2 「青山」デリヘル1 《福岡》デリヘル1 12月【吉原】2 ●2015年 1月【吉原】1 2月【吉原】2 4月【吉原】1 7月【吉原】2 8月【吉原】3 《福岡》デリヘル1 9月【吉原】2 12月【吉原】1 ●2016年 1月【吉原】2 「上野」セクキャバ1 《福岡》デリヘル1 2月[大阪] 箱ヘル2(日本橋、難波) 3月[大阪]箱ヘル3(日本橋) 《中洲》箱ヘル1 4月《中洲》箱ヘル1 「上野」セクキャバ1、ピンサロ1 【吉原】1 (注1【吉原】はすべて泡苑。 (注2「非日常の悦び(前編)」に書いた各月の記録とは必ずしも一致しない。(月複数回の出張経験もあるため) 以上からは、これまでの私が徹底した吉原主義であることが読み取れる。情報局挨拶文に記されたとおりである。吉原登楼も42回中38回までが、馴染み姉妹店(泡苑)である。 これに加えて、今年になってからの履歴を見れば、吉原泡苑以外の地域・業態への進出も記録されている。いずれも、風俗情報局の先輩諸兄のご投稿がきっかけである(情報局、畏るべし)。 他方、地元福岡は僅かに5回。ここから判断する限り、「地元自重・出張風俗専科」の原則は揺らがないように思える。 とりわけ、日本有数の歓楽街・中洲を地元とし、其処に日常的に飲みに行きながらのこの回数の少なさは、何より地元回避主義の証左と言えるだろう。 だが、僅少とはいえ、2016年になってからの「福岡風俗5」をどう捉えるか。 今年の14回の風活中、福岡が5回、実に3分の1以上を占めているのである。これを過去と比較すれば、2013年ゼロ、2014年は22回中2回、2015年は13回中1回に過ぎないのだから、この急速な展開を何と見るか? ■2 日常性の中の風俗 「時間が空いたのでちょっと手コキへ / 新人ちゃんが気になるのでちょっと手コキへ / コンビニついでにちょっと手コキへ / そんな感覚で風俗を利用」しておられるのが、運営スタッフのどんちゃんである。 「常人には理解し難い行動かもしれませんが / ・喫茶店に寄ってコーヒーを飲む / ・新刊をチェックしに本屋さんに行く / ・コンビニに飲み物を買いにいく / そんな感覚と一緒だと本人は考えております。」 「自分に対する適当な理由をつけて手コキ店へ。 / もはや理由なんていらないのかもしれません。」 (注3 (注3 風俗体験談「世界のあんぷり亭」2016.04.04 素晴らしいではないか。ここには日常生活・日常業務の中に風俗が無理なく組み込まれ、生活の一部として、日々の営みや仕事にアクセントをつけ、メリハリとなっているであろうご様子が窺える。 ちょうど音楽やスポーツが、生活の中で人々に潤いを与え、癒しやくつろぎをもたらし、活力の源となるように、どんちゃんは「理由はいらない」と仰有りながら、その実、風俗によりリフレッシュされ、鋭気を養い、生活・業務が更に活性化されるような暮らしぶりを送っておられるに違いない。 そんな風俗ライフに私は憧れる。 だが、出来ない! 私の場合、そんなことをしたら身の破滅である。 ■3 非日常性の陶酔 私が「風俗は楽し過ぎるので、日常的に嵌まらないよう、地元では自重」に努めるよう自らを戒めるには理由がある。それも、3つである。 (1)風俗そのものが非日常性の悦楽 (2)私の性向 / 性行(楽しいものに嵌りすぎる) (3)地元・中洲の危険な魅力 (1) 性的欲求それ自体は、人間の基本的な欲求に根差したものである。マズロー欲求階層説(5段階説)を俟つまでもなく、最も低次な①生理的欲求から、②安全欲求、③社会的欲求、④承認の欲求を経て、最高次の⑤自己実現欲求に至るまで、人間欲求の各段階で形を変え、人間の衝動を突き動かすのが性的欲求である。 本来、性的欲求そのものは、パートナーがいれば、日常生活の中での日常的な性生活の営みとして自然に現れるものである。だが、風俗においては、それは非日常的で淫靡(=隠微・隠靡)なものと化し、一層、悪魔的・陶酔的で背徳的な彩りと香りを以て私たち人間を虜にする。 日常の性の営みでは体験できない非日常の悦楽が、風俗という形態をとって現れるのである。 そもそも、娘や孫に等しい年齢の若い肌に中高年男子が触れること自体、日常的には容易に望み得ることではない。況んや、初対面の美女と出逢って数分後、彼女の口中に、あるいは禁断の花苑に自らの欲望を迸らせるなど、犯罪者か古代の絶対的権力者でない限り、なし得ない。 セレブ夫人との危険な逢瀬、お姉さんの優しい誘惑、全裸に首輪とコートだけの美女の訪問、秘書・OL・女高生への痴漢やセクハラ(あるいは逆セクハラ)、7人もの人妻との連続DK、王様気分で奉仕される至れり尽くせりの浴室サービス・・・ いずれも非日常の危険な(甘美な)遊びである。 他の客や女の子、従業員がいる空間で、当たり前のように全裸にされて、やはり全裸となった女性と痴態(時には3P、4P)を繰り広げるピンサロの異次元空間など、風俗の非日常性ここに極まれりではないか! (ソープやヘルスですら、密室の秘め事である) だからこそ風俗の楽しさは倍加するのだが、それ故に、あくまでも非日常の秘事にとどめなければならない。日常と非日常は明確に区別できないのは危険である。両者を混同し、非日常を当然のこととして日常性の中に求めるようになっては、破滅しかない。 もちろん、風俗情報局に投稿・閲覧しておられる多くの良識の氏は、常識的な線の中で日常と非日常、非風俗と風俗の境界をわきまえ、健全な職業生活と家庭生活を送っておられることであろう。 だが、私には「急降下」という困った性向・性行がある。 (2) 「急降下」とは、何かに興味を持ったら、すぐにのめり込んでしまう私の性向と性行を巧みに評した友人の言葉である。 本当に、私は嵌ると恐いのだ。 クラシックやロックのアーティストのファンになった時も、アイドルを追いかけ始めた時もそうだった。鉄道やカメラの趣味しかり。気に入った酒場(非風俗)が出来ても同様である。 思えば、20数年間風俗から遠ざかっていたにも拘わらず、2013年に現在の吉原馴染み店に出会い、ソープを再発見してから、約3年間のあいだに40回以上の登楼を記録した私である。その数字自体が、私の「嵌りの危険さ」を物語っているといってよい。 更にいえば、その回数で済んでいるのは、「出張時限定」という制約を自ら課していることの結果である。もしもその制約がなかったら、登楼回数はどれほど多くなっていたことか。 そうなれば、どれほど過重な経済的負担となっていただろうか(今でも黄信号である)。また、どれほど重大な支障が日常生活や公務において生じたであろうか(今でも綱渡りである)。 (まったく、仕事そっちのけで「趣味」に夢中になることは朝飯前の私だからなぁ) 風俗遊びが「嗜む」程度であり、仕事と生活に適度なアクセントとリフレッシュメントを与える範囲で収まっているならよい。その場合は、日常生活・日常業務の充実が「目的」、風俗はそのための(活性化のための)「手段」(の一部)として健全に機能する。 だが、それが行きすぎて風俗中心の生活に転化し、挙げ句の果てに仕事が疎かになっては、「目的と手段の転倒」である。より正確には、「『目的化された手段』(風俗)による『本来目的』(生活・仕事)の抑圧」である。 やはり風俗は、出張時の非日常的な楽しみにとどめなければならない。そのように意識的に自らを戒めなければ、「目的と手段の転倒」が起こっても不思議はない私の性向なのである。 (3) ただ、「出張風俗主義」の「制約」は、最初から、風俗の蟻地獄に陥りかねない私の性向 / 性行を抑制することを目的に、意図的に自らに課したという訳ではない。 たまたま、行きたいと思う馴染み店が福岡ではなく、吉原にあったから、そこに行くしかない。それが「出張風俗主義」となったに過ぎない。 この馴染み店は、それほど私にとって信頼に足る店である。そして、実際に私の登楼時に関してはハズレがなかったのも事実である。そんな私にとって、「他店には関心がない / あるいは他にも良店はあるのだろうが、その情報がない」・・・という状況が続いていたのがこの3年間だった。 その結果が、現在まで至る「出張風俗主義」、より正確には「上京すれば、必ず吉原吉原詣で(=キャンディ&ショコラ登楼)」なのである。 両店への信頼は今でも揺るがないし、実際に今年の3度の上京ではいずれもキャン&ショコを訪ね続けている。そして、今の経営者である限り、今後もそれは変わらないであろう。情報局の口コミやコラムによって、他地域・他業態への進出が促されたとはいえ、この原則は揺らがない。 ◆ とはいえ、以上だけなら、馴染み店以外で遊ぶ機会が増えたとしても「出張風俗主義」そのものは変わらない筈であった。 ところが、私は「中洲までバス30分」という危険地域で家庭生活と職業生活を営んでいるのである。 「非日常の悦び(前編)」でも述べたように、私はこれまで中洲の風俗店(正確には泡苑)について、さほど心惹かれてはいなかった。30年前、私を吉原に誘ってくれた知人の「吉原・金津園・福原は良い。中洲は良くない」という当時の評価がそのまま私の中に定着していたからだ。 だが、風俗情報局における中洲風俗の評価は違う。 nognogさん、うずまき丸さん、ちげさんらの体験談が伝える中洲は「コスト・パフォーマンスが良く、女の子の平均レベルが高い」という印象である。そのような魅力的な歓楽街が、私の手に届く所にあるのだ! しかし、「魅力的」とは「危険」と同義である。 そんな魅力的な(=危険な)中洲に、私のような「急降下族」が出入りした結果がどうなるか、それは火を見るより明らかであろう。 非日常の中にとどめるべき危険な(魅力的な)遊びが「時間が空いたから‥、新人が気になるから‥、コンビニついでちょっと‥」と日常化してしまえば、早晩、身を持ち崩すことが予想される。 やはり私としては、中洲とは一線を画し、出張風俗主義を貫徹しなければならない。情報局の甘い蜜のような中洲風俗体験談を読めば読むほど、自らへの戒めを強化しなければならない。 (余談ですが、炎のように燃えさかる熱い情熱を、強固な鉄の意志で鍛え上げたトスカニーニに憧れます) それなのに・・ ■4 ついに禁断の扉を開ける その日は、2016年3月31日だった。ついに中洲で「ほろ酔い箱ヘル突撃」を敢行してしまったのだ。 (1) 中洲大通りに面したビルの地下に、100種類以上の焼酎と小料理を揃えた焼酎バーがある。スタッフはオール女性。美人揃いだし、客への心遣いも素晴らしい。現在の店長は性格がよい美白の巨乳嬢。アルバイトに美人女子大生も入っている。 そこから徒歩5分の川沿いのビルの2階には、カクテル・バーがある。この店のスタッフもすべて女性バーテンダーであり、オーナーは美人、チーフは小悪魔美人。バーテンダーには各種コンテストの優勝者・入賞者がおり、本格的なカクテルを飲ませてくれる。 いずれも、県外からの客を案内して喜ばれる店である。料金も手頃で、どちらか1店、または両店梯子して帰途につくのが、私の中洲の基本である。風俗には行かない。その発想もない。ごくまれに(年に数回)、水着のガールズ・バー(非風俗)に立ち寄ることがある程度である。 (2) ところがその日、職場(爆)と焼酎バーでかなり飲んで23時近く。今夜は水着バーに寄って帰るか、と中洲大通りを歩いているうちに、ふと「せっかくなら、遊ぼうかな」と今までなら思いも寄らない危険な衝動が・・・ うずまき丸さんの、2月・3月の風俗体験談(箱ヘル)が脳裏に浮かんだのである。 すかさず携帯電話で情報局にアクセスし、若い子が揃い、コストパフォーマンス良好といううずまき丸さんのご投稿が、福岡ハレ系であることを確認。その店の割引券を貰い、場所を確認するために国体通りの「マンゾク・ステーション」(無料案内所)を訪れる。 ちげさんの1月のご投稿が、マンゾク・ステーションを知るきっかけとなってた。当時は、実際に利用しようとまでは思っていなかったが、興味半分でこの案内所を訪ねたこともあった。その行動が、2ヶ月後に実際に中洲風俗に足を踏み入れる伏線となっていたのかも知れない。 nognogさんの福岡デリヘル事情にお詳しい一連のご投稿も、通奏低音のように、当地の風俗の魅力を伝え、私を誘導していたに違いない。 かくのごとく、風俗情報局の著名ライターさん達が一丸となって、私を中洲蟻地獄に誘(いざな)おうとしているのだ(降伏、いや幸福?) (3) うずまき丸さんのご投稿は、2月が「ハレンチ女学園」(2件)、3月は「メイドin福岡」である。今回、私が選んだのは「メイドin福岡」。両店が同じグループであることは、それまで知らなかった。 「マンゾク・ステーション」は国体通りに面した「楽園ビル」の1階。馴染みのカクテル・バーからは2分、水着バーからは1分というロケーションである。 ここで割引券を確保するとともに、電話で「メイドin福岡」の予約をして貰った。「メイドin福岡」と「マンゾク・ステーション」がともに同じビルにあることも、その時初めて知った。 つまり、楽園ビルの1階が「マンゾク・ステーション」。2階に「メイドin福岡」と「福岡キュート・クラブ」。更に階上(5・7階?)に「福岡DEまっとる。」、「福岡ハレンチ女学園」、「福岡素敵なお姉さん」、「セレブショップ福岡」、「ひよこ治療院」とハレ系店舗が入っているのだ(怖ろしい)。 「メイドin福岡」で割引券を使いフリーで受付と料金支払いを済ませると、待合室でアンケートを記入し、暫く待機。室内には「メイドin福岡」と「キュート・クラブ」の在籍嬢の一覧表。写真はないがスペックや喫煙・非喫煙の別、口内○射の可否(メイドin福岡のみ)などの基本データがまとめられ、これは次回来店するなら、その参考となろう。 10分ほど待った後に、メイド嬢とご対面。どちらかというとお姉さんや職業婦人(秘書・OL・女教師・CA)が好きなので、メイドも女高生も私の趣味ではないのだが、なかなかイイ子だった。サービスも丁寧で、かなり飲んでいたためフャフニャ不発だったにも拘わらず、これなら再来店してもいいかなと思えたほどだ。 そして、実際に私はその僅か1週間後の4月8日に、再び楽園ビルを訪れてしまったのだ。 この時の利用は「メイドin福岡」ではなく、同一フロアの「キュート・クラブ」。こちらは前者よりさらにソフト・サービスで、店のルールとして全員FがNGとなっており、カウンターにも顔出しNG写真しか出ていない。(それほど女の子には自信があるとは、受付氏の言) 私は、その日もやはりフリーで入ったのだが、お相手は癒し系の超スマイル嬢。カウンターで想像した以上に可愛いらしく、くしゃくしゃの笑顔は一目惚れしてしまいそうなほどである。プレイルームの中でも優しく丁寧で、エロ可愛く、愉しく・・あっという間の45分だった。 当日は仕事のことでいろいろあったのだが身も心も癒され、元気を貰い、本当に行ってよかった、その癒し嬢に出逢えてよかったと思った私だった。 (プレイを終えて、まだ22時過ぎだったので、その後は焼酎バーに寄り、長澤まさみ気持ちだけ丸顔にした美人女子大生アルバイト嬢と愉しくお喋りして帰途についた) 「『中洲はイイ!』ですよ、、、特にコストパフォーマンスと在籍嬢の平均レベルの高さが」といううずまき丸さんのお言葉が、悪魔の囁きなのか、神の声なのかは分からない。 だが、その言葉に真実が含まれていることを信じさせるに足る2回のハレ系体験であったことは間違いない。 ■5 迫り来る危機 さて、困ったことになったものである。 禁断の中洲で遊ぶようになると、非日常の遊びが日常化し、財政的な破綻と仕事での破綻をもたらす可能性と現実性がある。だがら、地元では遊ばない。風俗は出張時に限定する、というのが私の原則だったはずである。 その原則を3年間厳守し、福岡で遊ぶ僅か3回(東京系列デリ)ですら「故あって生じた例外」(情報局プロフィール自己紹介文)であり、決して多頻度化しないよう「非日常性」のルールのもとでコントロールしてきた私である(財政的にもそれは無理だが)。 それが、10日たらずのうちに2回も禁忌を犯すとは。 しかも、風俗の1回1回を大切にするために「遊ぶ時は、事前の計画&指名嬢の予約」を主義としていたのも、「ほろ酔い箱ヘル突撃」であっさりと反故にされていた。 (2月の「秘書の品格」「OLの品格」へのフリー突入の名残である。「秘書の品格」は3月再訪の折には指名に切り替えたが) (1) 出張風俗主義の原則を堅守するために、最初の「メイドin福岡」を訪れた1週間後、私は新たな資金運用の方針を立てていた。それは、次の通りである。 ①吉原・上野・大阪には出張の時しか行けない。 中洲はいつでも行ける。 ②従って、前者を優先した資金計画を立てて遊ぶ。 ③つまり、「思い立って中洲」は厳禁である。 実は、この時(4月初旬)、本コラム前編に書いた4月17・18日の東京出張が確定していた。1週間後である。この時の風活目標が、①天使のココロ(再訪)、②ピュアハート(初ピンサロ&初3P)、③吉原ショコラ(オキニ4連続指名)であることは、前編で報告した通りである。 当然ながら、資金の制約がある。この出張目標を完遂しようとする限り、少なくとも4月の中洲出撃は財政上無理である、というのが論理的必然であるし、それが私の目論見でもあった。 そうであるにも拘わらず、この資金運用方針を定めた、まさにその日(4月8日)のうちに、私は中洲の楽園ビルを再訪してしまったのである。ヘタレである。翌週が何故、待てないのか。「職場でいろいろあって」など、言い訳にならないぞ!(自責) (2) さらに困ったことは、この日の福岡キュート・クラブでのお相手が、前節で寸評したように、超癒し系・超スマイル系の良嬢であり、オキニ候補になってもおかしくない女の子だったということである。 マズロー欲求5段階説の、①生理的欲求の段階なら問題はない。その子でなくても、他の姫様と遊んでも欲求は充足されるわけだから、他の姫様と吉原や日本橋(大阪)で遊べばよい しかし、③社会的欲求や、④承認欲求のレベルに至っては、その子と逢える中洲で遊ぶしかなくなる。それでは、出張風俗主義は崩壊してしまう。 実際、あれから暫くの間は、○○ちゃんに逢いたいなぁ、出勤はいつかなぁ・・が気になっていた私だったのだ! (3) それから1ヶ月半。 上の充実の東京出張を挟み、今までのところは、何とか楽園ビルに足を運ばずに済んでいる私である。このまま「持続可能な」遊びとして風俗を楽しみたいなら、これまで通り「出張風俗主義」を貫徹すべきである。(多少の地域と業態の拡大は認める)。 だが、先週、大きな仕事をひとつ終え、少し息抜きしたい。身と心を癒されたいという想いが静かに沸き上がってくるのも否定できない。しかも、6月・7月には東京・大阪への出張予定はない。 (来月、広島出張の予定はあるが、現時点で風俗への食指は動いていない) 出張予定がないからと言って、中洲の○○ちゃんに逢いに行っては身の破滅の第一歩である。ここは何とか踏みとどまりたい。 8月・9月には、東京・大阪に計4回の出張が予定されており、すすきのデビュー計画もある。それまでの我慢である。 健全な職業生活と日常生活の維持のために、そして経済的基盤の保全という意味でも、中洲に行ってはならない。 皆さん、私が出張風俗主義を墨守できますようご支援・ご指導・ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます(礼拝) | |
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