| タイトル | 初めての五反田での思い出 |
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| 投稿者 | イシイハルタ |
| 投稿日 | 2026年06月12日 |
『初めての五反田での思い出』 第2回 受け身必須天国への初めての入学 みなさんは五反田という町に足を踏み入れたことがありますか? 近隣の風俗街である渋谷等とは一線を画す雰囲気を持つ町。山手線で10数分しか変わらないのになぜこんなにディープな印象があるのか??? 五反田が「ディープな歓楽街・風俗街」としての顔を持つようになったのには、地理的な条件、歴史的な背景、そして周辺の都市開発が複雑に絡み合った明確な理由があるそうです。 大きく分けると、以下の4つの要因とのこと 1. かつては目黒川沿いの巨大な町工場地帯があった。 明治から大正、昭和初期にかけて、五反田(特に山手線の内側から大崎方面)は、目黒川の水運を利用した一大工業地帯(中小の町工場街)でした。 多くの労働者が集まる街には、安く飲める居酒屋や簡易的な宿泊所、そして労働者のエネルギーを発散するための花街や娯楽街が自然発生的に形成されていきました。これが現在の歓楽街の土台となっています。 2. 花街(三業地)としての歴史があった。 大正時代、現在の東五反田(有楽街と呼ばれるエリアの周辺)に「五反田三業地」が指定されました。三業地とは、芸者置屋、料亭、待合(現在のラブホテルの前身のような場所)の営業が許可された地域のことです。 戦後、これらが「特飲街(いわゆる赤線・青線)」へと形を変え、1958年の売春防止法施行以降は、旅館や飲食店を装った風俗店へと形を変えながら生き残っていきました。ちなみに「地面師たち」で有名になったあの土地もそうした花街の名残だったとか 3. バブル期の「オフィス街」化と「ソープランド」の集積 1970年代から1980年代のバブル期にかけて、五反田はソープランドなどの特殊風俗店が集中するエリアとして全国的に有名になります。 五反田駅の西口・東口ともに、駅から徒歩数分という超一等地に風俗街が広がっているのが特徴ですが、これは「品川区や港区といった周辺のビジネス街へのアクセスの良さ」が影響しています。新橋、品川、渋谷などで働くビジネスマンが「帰りがけに寄りやすい場所」として需要が爆発し、日本有数のディープな歓楽街へと発展しました。 そして4つ目が一番大きいのかなと思いますが、 4. 警察署の管轄と「すき間」のエアポケットという土地柄 地理的な要因として、五反田駅周辺は品川区、大田区、目黒区、港区などの境界に比較的近い場所にあります。かつて、こうした行政や警察の管轄の「境界線」に近いエリアは、取り締まりの目が届きにくい「エアポケット」になりやすかったとも言われています。また、山手線の駅でありながら、渋谷や新宿ほど大規模な再開発が長年行われなかったため、古い雑居ビルやディープな路地がそのまま残ることになりました。 しかし最近ではIT系のオフィスが五反田~大崎エリアに大きく進出し、また御殿山等の富裕層エリアも近隣にあることから、高級店や高級デリが多く出てきました。 変革する五反田ではありますが、それでも私はM性感を求めて歩き続けていきたい。 | |









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