タイトル | 風俗★欲求階層説(5段階説) |
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投稿者 | moonlight |
投稿日 | 2016年03月04日 |
『風俗★欲求階層説(5段階説)』 初めてのブログです。 よろしくお願い致します。 ◆ 私たちは何故、風俗に行くのか。風俗に何を求めるのか。 とにかくエ○チがしたい。女性に触れたい、若返りたい、癒されたい、自分のテクニックを磨きたい、お気に入りの相手に受け入れられたい・・・。風俗に行く動機は人により異なり、また同じ人物でも、時間の経過により変わってくるといわれます。 いかなる欲求を満たそうとして、私たちは風俗に臨むのか。それに対するひとつの考え方を示すのが、心理学者マズローの「欲求階層説」(欲求5段階説)です。 ◆ 人間の欲求は低次のものから、高度の複雑なものまで段階的であり、低次の基本的なものが充足されて、初めて高次の欲求が表面化します。人間はその本能において成長と発展を望んでいるので、すでに充足された欲求をさらに刺激しても効果はありません。 マズローは、人間の欲求の各段階を次のようにまとめています。 【高次】 ⑤自己実現欲求 ④自我欲求(承認の欲求) ③社会的欲求(所属と愛) ②安全欲求 ①生理的欲求 【低次】 (1)次元は最低ですが、それが満たされないことにはどうしようもない、という欲求が「生理的欲求」です。食欲・睡眠(休息)・寒暑(を防ぎたい)・排泄、等々が生理的欲求です。 要するに、疲れたから休みたいとか、お腹がへったから何か食べたいという欲求がそれなのですが、これらの欲求が満たされると、それ以上を求めることはありません。 まずは風俗に行きたい、女の子と○○したいと私たちが思うのは、性欲が生理的欲求という人間の基本的な欲求だからにほかなりません。思春期に性的な関心や衝動が目覚め、これを充足させるために悶々とし、自制に苦しむ(時には逸脱する)のも当然です。 フィニッシュの後、賢者タイムが訪れるのも、すでに充足された欲求にはさらなる意欲がかき立てられることはないからです。 (それにも関わらず、連続して2回・3回とフィニッシュを目指すのは、以下で取り上げる別の次元、たとえば③社会的欲求や④自我欲求によるものです) (2)生理的欲求が満たされると、安全に対する欲求が起こります。 危険から身を守り、脅迫や剥奪から逃れようという欲求が「安全欲求」です。秩序や不変性を求めるのも、安全欲求です。ここでは安全な状況を求め、予測不能な混沌とした事態からは逃れたいということが問題となっているのです。 とりあえず生理的欲求の飢餓が満たされるようになった段階では、次に、生理用具の利用や、排卵期間を確認・調整することで、感染や妊娠の危険の回避に努めるのは安全欲求に基づいた行動です。 安全管理が徹底した店(嬢への病院での検査の義務づけ)や、敢えてNSではなくS着店を優先する顧客がいるのも、安全欲求からの選択ということになります。 安全欲求は人間の生存に関わるものですが、それでも生理的欲求の方が優先されるのは、人間の欲求を考える上で注目すべき点です。 (健康に悪いと分かっていても、アルコールを辞められない人は珍しくありません)。 性病に罹患した時は風俗をやめようと決意しながら、暫く経つと復帰したくなるケースはこれによって説明されます。 (3)生理的欲求・安全欲求が充足されると、人間は次に「社会的欲求」を満たそうとします。 すなわち、ひとりでいたくない、他人と交わり、集団を作りたい、同僚から受け入れられたい、友情や愛情を交換したい等々。要するに、他人との接触や相互理解を求めるのが社会的欲求です。 確かに、多くの人々は、集団に属し、友情や愛情を求める欲求を持つ一方で、孤独を避け、根無し草ではないと思えるようになることを求めていますね。 風俗客には、女の子との○○に肉体的な悦びを求める人もいれば、相手との接触(心理的接触を含む)や相互理解をより重視する人もいます。 風俗嬢に「逢いに行く」人や、高齢やEDのため、行為そのものは困難だが、若い娘と抱き合って眠るだけ、あるいは雑談をするだけで幸せを感じる人は少なくありません。 いずれも、生理的欲求・安全欲求を充足した後に、社会的欲求の次元へと進んでいる人々なのです。 (4)社会的欲求が充足されると、単に他者と接触したい、相互に理解したいということを超えて、相手から承認され、尊敬されたいとか、自分は出来る人間として自信・尊厳を持ちたい、そのように評価されたいという、さらに高次の「自我欲求」(承認の欲求)が現れてきます。 ○○の一般論としてはそうですが、風俗においても、生理的な欲求としての性欲を、安全に満たしたいという段階から、○○を通して他者との接触、相互の心的交流をはかりたいという段階を達成すると、さらにこれには飽きたらず、パートナーを性的に満足させるための技術と体力を持った者として評価・尊敬されたい、卓絶したテクニックを誇示したいという段階に至るのでしょうか? (私にはそのような技量がないので、確信をもって言うことは出来ません) この自我欲求/承認の欲求には、二種類のものがあります。ひとつは自尊心や自信をもちたい欲求、自治、完成、能力伸長、知識欲、等々であり、ふたつには地位、尊敬、他人からの評価、認知の欲求、等です。 自我欲求は、いったんこれを重視しはじめると限度はなく、人はこれを満たそうとして倦むことはなくなります。飽くなき権力欲の追求など、これに当たります。 性の技術の追求や性的能力・体力の維持・向上も、幸福な男性の人生にとって非常に重要な意味を持つものとして考えられるようになります。 (ひとたび権力の座に着いた者にとって、それを失うことが破滅であると同様に、性的能力の喪失は男性にとって大きな挫折感に苛まれることに繋がります) ◆ 余談ながら、風俗嬢を褒めることは、楽しい遊びをする上での基本です。 彼女たちの中には、ビジュアルは普通か並以下でも、抜群のスキルと接客姿勢で多くの男性客の満足と賞賛を勝ち得てきている嬢は数多く存在するはずです。 ですが、顧客が初見において、ビジュアルのみでその嬢を不当に評価し、かつそれを顔に出すのは自殺行為です。 自我欲求/承認欲求を重視する次元にある人間にとって、他者(相手、上司・職場・顧客)に認められないことが決定的な不満となることは、風俗嬢も、職場の同僚・部下も同じなのです(そのような不満を持つ者が続出すれば、その職場は崩壊します)。 サービス地雷の発生源のひとつは、対面早々、客から認められない、失望されるという不幸にあるかも知れません。 (その災禍を拡大する有効な最終兵器が、いわゆるバネマジと吉原年齢ということになるでしょうか) (5)最高次の欲求としてあるのが「自己実現の欲求」です。 自己実現欲求とは自己啓発を続け、創造的であり、崇高な至高の境地にまで達しようとする欲求です。 多くの人間は、自己の成長、潜在能力の実現を求める欲求をもっています。自分が潜在的にもって生まれた能力を実現させ、自分がなり得るものになろうとする欲求、それが自己実現欲求なのです。 かつて「カネのために野球をやっている」と放言した名選手がいましたが、彼が「野球人としての評価は年俸で表現される」から「年俸で評価して貰えるチームに行く」というなら、それは金銭そのものの取得が目的ではなく、自我欲求/承認欲求の発露ではないかと考えられます。 これに対して、他者にプレイや能力をどのように評価されるかではなく、自ら納得できる野球人生を送りたい、野球によって自己を表現したい、野球道を極めたい・・と思うなら、それは自己実現欲求の境地にあるといっていいかも知れません。 性欲のはけ口のため(生理的欲求)、不安から逃れるため(安全欲求)、孤独を癒すため、あるいはひとりではないことを確認するため(社会的欲求)、自らの性的能力を誇示し、評価・尊敬して貰う満足のため(自我欲求)・・と、風俗を利用する目的は人により、多様であり、また成長・発展するものでもあります。 でも、これら4つの欲求がある程度、具体的な内容を述べることが出来るのに対して、自己実現欲求は、ここでは抽象的・一般的なものとしてしか述べられていません。 それは、自分だけ欲求の解消ではなく、互いの満足と幸せの実現ということなのでしょうか。 ○○を通じての自己表現とは何でしょうか。○○における自己の能力・潜在能力の開花とは何か。それは、自我欲求における性的技術の追求とどのように違うのでしょうか。 ○○における自己実現欲求、あるいは風俗における自己実現をどのように考えるか。 いつか皆さんにも伺ってみたいです。 | |
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