タイトル | ストリップ劇場回顧録その2 |
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投稿者 | 椿三四郎 |
投稿日 | 2017年02月23日 |
『ストリップ劇場回顧録その2』 あの日、あの時、思い出すだけでも興奮が蘇る、あの時代にもう一度帰りたいなんて思ったりしてしまう。その理由にストリップに地雷は存在しないからだ。好みの女の子はナマ板でゲットする、しっかりと見定めてじゃんけんに参戦する。80年代半ばから舞台に上がれないお客様のために個室ができた。劇場ごとに各個室は少なくても2部屋存在した ここで気に入った嬢を受付で指名する、当時日本人で2000円、金髪外人は4000円の割高、平均して3000円が当時の相場、個室は何度か利用したが、性格の悪い嬢は(早くしてよ)とせかされる、ゆっくりとはできない、事がすめば終了だ。 チケットを購入し個室で待つこと2,3分、指名した嬢がTシャッとパンティーのまま部屋に入ってくる、個室の広さは2畳ほどしかない そこに布団が敷かれている、嬢はミニバスケットを持って入ってくる 中身はお絞りとG数枚、チケットを渡しお絞りで手を拭かれる、Tシャッの上から胸をもみもみして息子が勃起、それを見計らって仰向けに寝かせられて息子をおしぼりでふきふきしFをしながらG装着 しばらくFは続くが、いきそうになり嬢に合図を送る。 上になり素股、そして正上位でフニッシュ お気に入り子はここで何度もできる、しかも格安だ。混んでいると個室前に7.8人は行列ができた。しかしわたしには関係ない ナマ板ショーがあるからね、 これも一度舞台に上がってしまえばどうってことはない 個室に客が流れればナマ板は誰もいない、やり放題だ だからいつも平日に抜きにいった。 全盛期にはダンサーの8割がナマ板ショーだった ますばトップこれは日本人のダンサータッチショーや入れポンショーだ (入れポンとはゴムこけしで客が嬢のあそこに入れるお遊び、ステージ 前列の客が順番で遊べるのだ。みんな顔が真剣だったね 2番手はだいたい外国人、80年初頭はフィリッピン人、タイ人が多く出ていた、ダンサーは平均2人、多いときで4人、ダブル、トリプルはあたりまえ、もちろん ダンスが終わればナマ板ショーだ、この瞬間が興奮だ、どの嬢にしょうか迷う、最高船橋OSの体験が5人でした。同時にナマ板ショー お客が5人舞台に上がるのだ。客観的に見ると異様だかここは異質の空間を作っている。で・・・希望すれば必ず上がれた、だからまずはずれがない、みんな美人だしスタイルもいい、特にフィリピーナは腰の動きが独特だ、日本人にはまねできない、しかも良く◯まる。 たまらず直ぐにフニッシュだ。 4人のダンサーは1回に8人相手する 上がれなかった客は我先に個室のチケットを買う 3番目のダンサーは日本人が多かった。これもナマ板ショーだ 3番目は休憩し4番目は又は中間でポラロイドショー 当時500円、好きなポーズで写真が取れる この時間はトイレ休憩にしていた。そして後半 金髪外人だ・・・これまた鼻血がでそうなくらい興奮した。 洋物ポルノ映画から出てきたような金髪美女がほとんどだった 踊りが終わっていよいよナマ板だ。あれだれも立ち上がらないぞ 希望者俺だけだ、やったー・・・こんなついている日も多かった やはり平日にかぎるぜ、客は年寄りが多く無理だろう。 多くの金髪外人欧米と楽しませていただきましたことを感謝も申し上げます。 アメリカ、カナダ、フランス、イタリア、ロシア、いろんな国の欧米人が円高で出稼ぎにきていた。ありがたいです。 とにかく体は柔らかいです。胸がボリュームがある上ものすごく柔らかい、おしりの締まりも最高でした。最高の経験をさせて頂きました。 6番手、7番手、またまたダブルナマ板ショーだったりするのが多かったね、だから1日4回公演するんだけど1公演11:30分から15:00までに3回ナマ板ができた。2回のときは2回目の公演で3回目のナマ板を達成する、自分のノルマは3回だった、ストリップにいったら必ず3回は抜く、できない場合は個室を利用する。 4回したことがあったが、4回目のナマ板は時間切れでアウトでした。 ダンサーを選んで楽しめるとソープはいけなくなるね、 ソープは当時ト◯コ風呂と言って、ほとんどおばさんで、いつも地雷だった、それより無料で3回抜けるし、しかも3回とも違う嬢で楽しめるのはここストリップ劇場だった。どこの劇場もナマ板オンパレード 80年後半は南米の女性が多く入ってきた。とくにコロンピア、この国に思い出に残る嬢がいる・・・・・・ | |
この風俗コラムへの応援コメント(5件中、最新3件)
- フラキート(4)2019/5/3>>椿三四郎(70)の『ストリップ劇場回顧録その2』のコラム椿先生にはとても及びませんが、風俗遊びは18歳大学時代の大阪でのファッションマッサージから始めて、社会人22才から川崎ソープ通いをして 次第に高級ソープ好きになり、給料ボーナスを使い果たして借金まみれになり、ふと船橋のニュー大宝劇場に行き、金髪女性との生板ショーに衝撃を受けたもののなかなか舞台に上がる勇気湧かずに愛の小部屋を利用したのが始まりでした。間も無くその小部屋利用6千円も払えなくなり、終盤に人が少なくなるのを見計らって生板参加始めました。それがいつの間にか病み付きになり本番生板狙いになり、コロンビアーナから変態本ベーロの称号まで頂くほどになった次第です。ホームは船橋でしたが、ジャンケン競争も激しく新宿、蕨、西川口も同様でなかなか上がれないため、競争がほぼ無い宇都宮東洋、水戸エース、石和温泉でOSと温劇のハシゴで2連チャンと毎週関東郊外で生板上がりが日課になった次第です。